「死ぬ権利」は必要なのか――尊厳死法制化の是非を問うを読んで
どうも、なかさだです。
これまでの自分の人生を振り返ってみると、事故やら病気で運が悪ければ死んでいただろうということが、少なくとも3回ほどあった。
これが多いか少ないのかは分からないが、わたしくらいの年齢になれば誰にでもあることだと思う。
ただ、常に生きることを選択してきたので、今があるわけだけど、正直あの時に死んでいたほうがラクだったなと思うことも、しょっちゅうあるし、これからも死にたいと思うような出来事がいくらでも起きるかもしれない。
まあ、でも、わたしは早死にだった親父の生き様を見てきて、どんなことがあったとしても生き延びる方法を探して、少しでも長生きしようと思ってるが、取り立てて健康に注意しているわけでもないし、不摂生だからある日突然死んでしまってもおかしくないとも思っている。
ところで先日、母と話していて事故で突然死した男性の話を聞いた。
残された家族はパソコンによく分からないメールが届いたり、ログインしようにもパスワードが分からくて大変困ったという話だったけど、それは遠回しに「お前が死んでもそうなるね」と言われてるような気がしたものだ。
ずっと迷惑をかけているので、内心早く死ね!とか毒づかれてるような気もするが、そこはスルーしておいたのは、いつものことだ。
そういう関係はずっと変わらないけど、親子の関係というのは微妙なものだ。
(母は園芸家なので、こういうのも亡くなったら困るだろうなあ.........。)
ところで今は、わたしは一人で住んでいるけど、以前は親と一緒に住んでいたこともあって、親族が亡くなると一緒に葬式に行ったりもしていた。
母は自分の兄弟の死を見てきて感じたことがあったようで、(自分しか残っていないので)最近は自分は尊厳死を選ぶと言い出すようになった。
年齢が年齢なので(もう75だったっけか)、どういう形で死を迎えるか考える事もあるのだろう。
わたしは、長野じゃ運転しないと生活するのに困るので、年も年だし車にモミジマークを付けたらどうだと提案したこともあったが、頑なに拒否されたので、どんどん頑固になってきてるなと思ったこともある。
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母の兄弟は、皆幸せな死に方を(人によって感じ方は違うだろうけど)したというわけではなくて、弟は40代で仕事中倒れ、脳出血で寝たきりになってしまい自宅で2年くらい生きていたが、(植物状態だった)結局亡くなってしまった。
兄は、やはり仕事中に倒れ心臓発作だったらしいが、一命はとりとめたが半年後くらいにガンを宣告されて入院中の病院で亡くなった。
ただ、80歳近かったので寿命じゃないかと思う。
すぐ上の姉は、家の仕事の手伝いをしている時に事故で亡くなった。
健康だったので早すぎるなと感じたものだ。
一番上の姉は、痴呆症で施設に入ったのだが、寝ている時に食べたものを戻して窒息死したらしい。
でも、本当の原因はハッキリしていなくて、当直の職員が見たら、もうすでに亡くなっていたらしい。
血はつながっていないけど世話になった叔父は、足が不自由だったのだが、お風呂で水死体で発見された。どうも溺れたらしい。
何か発作が起きたかどうかは不明だが、風呂好きだったので、因果なものだと思ったな。
親父はガンで亡くなったことは以前も書いたので割愛するが、結局、友人が亡くなったり、親族が亡くなり、母からしてみれば残ったのは自分だけだという思いがあるらしくて、ここ数年は自分の死について語ることが多くなった。
というかものすごく健康なんだけど、人生何が起きるか分からないから、自分が元気なうちに言っておくと言われたのが、自分が余命が僅かであったら尊厳死というか延命治療はしないで欲しいと言い出した。
ちっぽけな年金欲しさに生かしておくようなことは、絶対に無いようにとね。
もしガンとかであれば、ホスピスに入院して寿命で死ぬのが理想とか言ってたわ。
事故や脳の疾患とかで植物状態になったら、「絶対に延命治療はしないこと」とも言われた。
わたしは今、実家で暮らしていないので、万が一母に何かあっても、連絡は事後だろうなと思っているのだが、母の意思が尊重されるかどうかは分からないので、明文化したらどうだと(遺書を書くなり)以前から言ってはいるのだが、そこまで深く考えてはいないらしい。
誰でも自分が死ぬことを考えているわけではないから、分かるんだが残された家族にとっては、何か起きてからでは遅いので、何でも文章なりカタチに残してハッキリさせてもらいたいと思っている。
わたしは母は、わたしより多分長生きすると思っているので、あまり心配はしていないがね。
そんなわけで、もし、うちは母が寝たきりになって植物状態で意識もなく、ただ最新医療で生かされているだけという状態になったら、尊厳死というか自然に死なせてやってくれと医師に頼むと思う。
医師が望まなければ、病院から家に戻って本人の希望通り、死を迎えさせたいと思う。
まあ、そうはならないだろうとわたしは思っているが、残った子供の中で共通の認識がないと困るので、今のうちに遺書は残してほしいね。
相続は、親父のときでかなり面倒だったのを覚えているので、その辺も考えていてほしいものだ。
法制化されようが、その時の本人の意志が重要といっても、その時に本人の意識がなければ同じことだというのは、わたしは親戚のケースで何度も見ているので、やはり遺書を残しておくのが最重要だと思う。
ただ、自分もそうするべきだとは思うが、まだ死を考える年ではないし、すぐにはやらないと思う。
そもそも、わたしには残すものが殆ど無いし(子供もいないからね)万が一事故や発作などで突然死んでも保険でカバーできるだろうと思っているんでね。
老害とか、こいつしぶといなと思われても生きられるうちは、生きますよ。
「死ぬ権利」といえば、寿命をまっとうする以前に自殺を選ぶ人もいるわけだけど、残された家族のことを考えたら絶対にあってはならないとは思っています。
あれは、けっこうキツいですわ。
これは、ただのコタツ記事ですけど、けっこう色々と考えさせられる問題ではありますね。
寿命が伸びたので、この先の老後が長いですからねえ。
みんな急にポックリ死んじゃうのが、手がかからくて楽って言ってますけどね。
まあ、そううまくいかないから社会問題化してるんでしょうけどね。
それでは、また。
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