稲葉浩志ソロプロジェクト・INABA / SALAS、公開収録に生登場を読んで
どうも、なかさだです。
今日のエントリーは、たまには芸能ニュースも取り上げてみようかなってだけなんですけど、B'zの稲葉さんのソロユニットが、またやるみたいなんで取り上げました。
(最初からオッサンの回想話になっちゃってますけどね、まあ、父ちゃんたちの20代のころの夜遊びの話だね。)
わたしの世代は、カセットテープを使った最後の世代だと思う。
今は記録媒体が色々なものを選べるけど、80年台というか30年前は、CDが出始めたばかりだった。
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1985年くらいの時期は、まだレコードが主流でレンタルレコード屋だったんだよね。
わたしは学校が終わると上田の中心市内まで行っては、レコードを借りて割らないように注意しながら自転車で家に帰ったものだった。
もちろんカセットテープは、レコードの時間を調べてから買っていたけど、メタルテープは高かったような気がする。
あのころあった百貨店は、すべて閉店して、そのほとんどが駐車場かホテルになっている。市街地が寂れる理由がわかるけど、そのころ交通量調査をしていたら1日1万人も上田の市街地まで来ていたらしい。
よく考えるとあのころは、今のシャッター商店街がキラキラしていたよな。
話を戻すとレコードを無事に家まで持って帰っても、まだ油断はできなかった。
レコード針がいい状態でないと使えなかったからね。
そのころはMTVを毎日見ていたせいもあり、英語の勉強にもなるかなと思って洋楽ばっかり聴いていたが、対訳を見ると子供には刺激が強かった。
わたしはマドンナが好きだった。
初めて見たCDはBOOWYだったと思う。同じ年代だったが、当時のわたしはあまり聴いていなかったので、よく知らなかった。子供には大人気だったんだけどね。
そう、これを学校で見たんだよな。
そのうちにカセットステレオは廃れて、レコードもCD の取って代わられたのだが、車はカーステにラジオが普通だったので、カセットテープに好きな音楽を詰め込まないと持って歩けなかったな。
アルバイトで買ったウォークマンも持っていたのだが、CDのウォークマンに代わるのは、もうちょっと先だった。
わたしは歌謡曲というか、J-POP(コレは死語なんだろうか?)を聴き始めるようになり、どこかに自動車でドライブに行くときには好きな音楽を編集して、テープをボックスに入れて持ち歩いていた。
ああ、懐かし。
ちょうどバンドブームの終焉のころだろうか、レンタルCDショップに(もう、このころはCDに変わってたな)毎日のように顔を出していた、わたしはいいネタがないか探していたんだが、その時に発見したのがB'zとドリカムだった。
どっちも売れる前だったので、曲も分からないので名前で借りて聴いてみたが、まさか今まで活動するようなアーティストになるとは思わなかった。
- アーティスト: B’z,稲葉浩志,松本孝弘,明石昌夫
- 出版社/メーカー: BMGビクター
- 発売日: 1990/02/21
- メディア: CD
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今とだいぶ違う印象だったのを覚えているけど、初期の頃はギターサウンドがどうというよりはテクノ・ポップに近くて、わたしのイメージのB'zは初期の頃のものだな。
どこからエアロスミスになったのかは不明だね。稲葉が体を鍛えているのか昔と見た目が変わらないのが凄いけど。
初めて聴いた曲は「BAD COMMUNICATION」だったかな。
メジャーになって、いつも初登場1位になるようになったのは、この曲くらいからだろう。
小さいCDって見なくなったよね。いくらだったっけ700円くらいだっけか?
この曲も好きだったな。カラオケボックスが出来初めの頃でしたよ。
- アーティスト: Dreams Come True
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若いな吉田美和wwwwwwwwwwww
まだ、どちらもテレビに出る前だったと思う。
こんなに売れたのは想定外だったし、未だに活動しているのが信じられないが、当時は新人だったんだな。
この時期は他にも(少し時期はずれているみたいだが)こんな人達もいましたね。
わたし当時は、カラオケボックスが大好きだったんで、このへんは思い出深いです。
というよりも飲みとセットだったんで、先輩にカラオケ歌えよオラァとか言われてたな。それまでカラオケ大嫌いだったのに。
浜省は男だけだと鉄板だったんですけど、(みんな「MONEY」と「もう一つの土曜日」ばっかり歌うんだよ)この人も頑張ってますよね。
しかし、当時ってカセット持って歩くか、ラジオを聴くか、CDを買うか、借りるかしないと音楽を聴こうと思っても聴けなかったんだよな。
それが普通だったけど超不便だし。
もう少し時間が経過すると、通信カラオケがスナックに置いてあるのが普通になって飲み屋で、新たな曲を覚えるということが増えたのだが、この頃が人生の中で持ち歌が一番多かった気がする。(歌手じゃねーんだけどさ、失笑)
携帯電話はあったけど、しばらくは音楽を聞けなかったよね。あくまで電話だった。
今はスマホからYoutubeで、気軽にどこでも音楽を聞けるし、ダウンロードして保存もできるのが当たり前だけど、CDウォークマンって今考えると大きくて、その前のカセットテープのウォークマンで全然良かったわ。しかも1枚だし。
わたしは高音質にこだわる方じゃなかったしね。
わたしは、今は音楽自体をそんなに聴かなくなったのだが、当時を思い返してみるとカラオケで新曲を歌いたいがために、CDを買っていたような気がする。
1枚3200円だったんだけどさ、CDショップでCDを買って、1分後には車の中で聴いてたなあ。
当時は、ぜんぜん高いと思わなかったけど、金銭感覚って代わるもんだよね。
当時は午後の7時から飲み始めて午前1時くらいまで、ずっと飲んでたもんで飲み代が、笑っちゃうような会計だったわ。
2時間くらい平気でカラオケやってたから頭悪すぎですけどね。
そんでその後は、このくらい時期の曲が、わたしのカラオケ生活の終わりですね。
古いよなあ。
こうやって好きな楽曲をブログにも貼れるんだから、便利な時代だよな。
まあ、そんなわけで体力もないし、酒はビール1本あれば満足だし、お一人様でカラオケに行く気もないしで、新し目な曲ってよく分からなくなってますけど、昭和の頃ってわたしくらいの年代は、確実に演歌だったんで、そんなものだと思いますね。
当時は、いつも行く店でカウンターで、ママを相手にひとりで飲んでるオッサンが、必ず同じ曲を盛り上がってくると歌うんで、自然に演歌は覚えましたけど、一人が2曲も歌えば充分満足していたのが、今になると分かりますかね。
今は気軽に昔の曲を聴いてる人も多そうですよね。
まあ、父が好きだった曲が普通に数秒で発見できる時代というのは、便利だけどね。
わたし人数が増える前のEXILEも、けっこう好きだったんですが、マイルドヤンキーはEXILEが好きという記事を見て、聴くのを止めました(笑)
だって、そういう年代じゃないしねえ(笑)
今日は、稲葉の話というより昔話がしたかっただけになっちゃいましたね(´・∀・`)
それでは、また。
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