ミホノブルボン死す 92年に無敗で皐月賞、ダービー∨の2冠を読んで
どうも、なかさだです。
1992年に無敗のまま皐月賞&ダービーの2冠を制したミホノブルボン(牡、父マグニテュード、母カツミエコー)が22日、余生を送っていた北海道日高町のスマイルファームで老衰のため死んだ。28歳だった。
上記記事から引用
今日は競馬というかマニアックな話です。
まだ生きていたのかとまずは思いましたが、わたしがちょうど競馬を始めたころ4歳クラッシックは、この馬の話題で持ちきりでした。
まだサンデーサイレンスがいなかった日本の競馬界でリーディングサイヤーは社台ファームの大種牡馬ノーザンテーストが君臨していました。(後継種牡馬がいなかったので絶えてしまったが)
ミホノブルボンという馬の名前を初めて耳にしたのは、競馬好きの友人からだったと思います。
まず父のマグニテュードという馬はあまり実績がなくて、というかそういう知識もなかったですね。
たまたま、その前年皐月賞とダービーを勝ったトウカイテイオーが春の天皇賞に出るというようなことを話していて、ついでに出てきたのがミホノブルボンという馬でした。
日本の競馬会が変わり始めたころかもしれませんが、栗東トレーニングセンターができて関西馬が猛威を振るうようになる少し前の話ですかね。
トウカイテイオーは父のシンボリルドルフが無敗の三冠馬だったこともあり超良血だと言われてましたが、ミホノブルボンは雑草のような馬でしたね。
よくそのころ言われていたのは、ブルボンは坂路調教でできたサイボーグのような根性馬らしいということでした。
戸山調教師がハードトレーニングの方法を開発して、出来上がった馬がミホノブルボンであり、セン馬で有名だったレガシーワールドでしたかねえ。
わたしはレガシーワールドには稼がせてもらったので、懐かしい思い出です。
ブルボンは見た目がけっこうごつかったというか、筋骨隆々みたいな感じで血統的に距離の不安があるからと言われながらも、皐月賞も日本ダービーも逃げ切って勝ってしまったのを覚えています。
ダービーで2着に来たのがライスシャワーという人気薄の穴馬で、父はリアルシャダイという良血でしたが、馬体は400kgを切りそうなくらい貧相な馬でしたね。
春のクラッシック2冠を制したミホノブルボンは、距離の不安がある3000mの菊花賞に向けてトレーニングを続けていたのだが、結局秋の上り馬だったライスシャワーに敗れて引退してしまったんだよな。
ライスシャワーはその後、春の天皇賞を勝ったのですが、レース中に骨折して予後不良(安楽死)して、その血筋は絶えてしまいました。
それに比べたらミホノブルボンは随分長生きしたんだなあと感じます。
当時わたしはダービースタリオンというゲームにもハマっていたので、血統には詳しくなりましたが、その後あまり雑草みたいな馬が出てこなくなったのは寂しいような感じもしますね。
あの有名だったオグリキャップも血統的には、ダンサーズイメージという全く知られていない種牡馬の産駒だったので、後継種牡馬が出せずに終わったんですが、親がどこの馬の骨か分からんと種付けで質のいい繁殖牝馬が集まらないので、それだけで不利なんですよね。
今の日本の競馬界はサンデーサイレンスの血が飽和していると言ってもいいかもしれないですが、キングカメハメハが取って代わろうとしているようですよ。
いろいろ調べると分かるのですが、競馬の世界では1頭抜けた馬が出ると配合を真似することが多くて、血が飽和するということが起こりがちです。
それでどこかから異系統の血を導入するのが普通になってます。
トウショウボーイ、パーソロンが栄えて、その後ノーザンダンサーが栄えて、サンデーサイレンス、トニービン、ブライアンズタイムなどで飽和した血を薄めようとしたら、サンデーサイレンスの一人勝ちになって、また血が飽和した。
日本ではサンデーサイレンスの血が飽和したので、ネイティブダンサー系のキングカメハメハが人気になり、海外ではノーザンダンサーの子孫が残っているので、サンデーサイレンスの血統は需要があるという面白い状況になってるかもしれませんね。
だいたい20~30年で、こういう流れが起きてるような気がしますよ。
そういう意味では、次はどんな系統の血の馬が活躍するのか興味がありますね。
ミホノブルボンみたいなショボい血統の馬が次の世代で流行っていたら面白いとは思いますけど、まあ、競争成績が良くないと種馬にもなれないですから難しいでしょうね。
わたしを競馬の世界に引き込んだ馬なので、ミホノブルボンの名前は一生忘れないと思います。
御冥福をお祈りします。
それでは、また。
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