@なかさだの「終わり良ければすべて良し」 All's Well That Ends Well by @nakasada

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成人式は夏だった

今週のお題「20歳」

 

 

 

 

 

どうも、シニアなオッサンのなかさだです。

今週のお題は「20歳」、4半世紀以上も前のことで、うろ覚えですが思い出しつつ書いていこうかと思います。

 

思い出話なので長いです。。。

 

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(写真は関係ありまてん)

 

今は喫煙や飲酒、選挙制度というか投票を18歳からにしようとかいう動きもあって、子供を成人扱いするのは、18歳からという流れになりそうですが、わたしとしては反対です。

わたしの住んでいる長野県は、夏の8月15日に成人式をやります。(一部ですけど)

お盆のときですね。

成人式は、形式的に大人への通過儀礼かもしれませんが、わたしはツレたちと海に遊びに行っていて出席しませんでした。

大した意味もないと思ってたからね。

当時のわたしは学生で時代はバブル経済だったので、遊ぶ金欲しさにアルバイトに励んでました。

当時は、今とは比べ物にならないくらいバイトでも時給が高くて、肉体労働系の仕事であれば、普通にいるだけで(特に仕事ができなくとも)1日に1万5千~2万円とかもらえました。

交通費とかメシ代なんかは、別にもらえたような記憶もあります。

 

わたし子供のころからスキーをやっていて、夏場にお金を貯めて欲しかったスキーやスキーウェアと運転免許をとるための教習所の費用、あとは生活費が欲しかったんです。

奨学金はもらってましたけど、金銭感覚がなくて(身についていなくて)お金がいくらあっても足りなかった気がします。

ちなみに親不孝していて、学校には、ぜんぜん行ってなかったです。

そうですねえ、年間でバイトで稼いだ額は150万円近かったと思います。

働く側にとっては、いい時代でした。

 

そうしてサークルに入って、稼いだお金で夏はテニスや旅行、冬はスキーと、かなり分不相応な生活をしていました。

当時は大スキーブームでスキー場もリフト待ちが多くて、かなり混んでました。

あとプリンスホテル系列のホテルなんかは、粉末のオレンジジュース1000円とかレトルトのカレーライスが2000円とかで高かったです。

でも、超インフレだったのでそれが普通でした。

 

今の学生はネットを使ってビジネスしたりもできますが、当時はそもそも会社か学校にしか、まだPCも無かったし、アタマを使うかカラダを使うかという2択しか選択肢が無かったです。

インターネット以前に携帯電話すら無い時代ですからね。

でっかい携帯電話は工事現場とかにはありましたけどね。

あったのはポケベルくらいかな。

古いですが映画の「バックトゥザフューチャー」を見ると当時の風俗が非常に分かりやすいですよね。

 

わたしもテレアポとか教材販売とかやりましたけど、当時は何かとテンパることが多くて、向いていないなと思ってました。

それで学生のころは先輩から紹介された肉体労働系のバイトが多かったです。

ガテン系と(死語かコレw)呼ばれるようになったのは、もう少し後だったかな。

いわゆる3K(これも死語かw)キツイ、汚い、危険ってやつですね。

アルバイトは高校生のころからやっていて、16歳のころは時給600円だった気がします。

大人に混じって仕事をするというのは、すでに高校生のころから体験していたので、何とも思っていませんでした。

 

当時、わたしはツレたちから「なかさだ、高校のときヤンキーだったろ?」とか言われてました。

 

別に自分ではそうでもないと思っていたのですが、当時はマンガで「ビーバップハイスクール」とか「湘南爆走族」とかヤンキー全盛だったので、そういうファッションが中高校生の間では普通でしたよ。

というか、田舎なので制服がある高校では、校則はあっても、みんながそういう格好だったのです。

本当の不良とスタイル(ファッション)でヤンキーの格好をしているヤツの見分けが難しかったですね(笑)

頭がチリチリのヤツも多かったです。(パンチパーマとかリーゼント)

まあ、先生に坊主にして来い!!とか言われるんですが。

あと周囲に本職の人たちが、なぜか多かったんですよね。

(今は遭遇すらしないのですが)

すごく優しくてねえ、当時は奢ってもらったり、小遣いをもらったりしてました。

わたしが初めてタトゥーを見たのは、このころです。これが綺麗でねw

 

しかし、ヤンキーっぽいのがイケてる時代ですか。。。

ちょっとというか、かなりハズい過去ですね。

 

それで、田舎臭くてあまりにツッコまれるので、当時のわたしは「ポパイ」とか「メンズノンノ」とかをツレのところで見て、そのまま同じようなのを買ってました。

洋服はブランドブームだったこともあって、高かったです。

ハウスマヌカンって今でもいるんですかね?(死語だろww)

カリスマ店員のことですけど。

結局、高級ファッションブランドは外国のもの以外は、みんな潰れましたけどね(笑)

わたし映画の「トップガン」を見て、トム・クルーズに憧れていてフライトジャケットのMA-1にジーンズで足元はコンバースのハイカットだったかな。。

ああ、あと冬でもインナーはヘインズのTシャツかタンクトップでしたww

 

このころ、わたしの世代前後5年くらいの人たちは、「マニュアル世代」とか「新人類」とか言われてましたかね。

デートコースをマニュアル本で読んで調べ、その通りことを進めるとかですけど、今は情報量が多いので、事前にPCやスマホで何でも検索したり調べるのは普通ですよね。

 

もう、このネーミングだけで昭和の空気が漂ってますけど、今でいう「ゆとり」みたいなもんです。

 

上の世代が理解できない若い人を貶めるキーワードですね。

 

実をいうと本当のところは、わたしはヤンキーというよりも完全な「不良少年」でした。

悪人というか悪ガキです。

酒もタバコも覚えたのは、高校に入るよりもずっと早かったし、パーティー券を売って友達の家でパーティーやって泥酔したのも中学校のころでした。

ああ、断っておきますが、これは決して武勇伝じゃないんです。

ああ、そうだったなというだけの話。

マジで学校には行っていたけど、救いようがないくらい精神的にグレてたんですよ。

今考えると、ひどく、すさんでるというかやさぐれてましたね。

 

イジメや校内暴力も凄かったですし。

普通に校内で体力余ってるヤツが、気にいらないヤツを集団で殴ってるのなんて、ほぼ毎日だったので何も感じなかったし、仲裁に入ろうとも思わなかった。

わたしはイジメはしなかったけど、イジメられる側になる可能性は常にありましたね。

わたしは知能犯だったので、裏でひどいこともしてましたけど、証拠不十分で無罪放免になることが多くてツレに何でお前は許されるんだとよく言われました。

暴走族とかには(珍走団かww)群れるのがイヤで入ってなかったけど、よく授業中に他校の生徒がバイクで校内に乱入してましたねえ。

うーん、でも、教師が生徒を殴るのも日常茶飯事で何とも思わなかったし、親が子供叩いたりするのも当時は普通だったな。

まあ、そういうのが昭和の末期でした。時代だね。

 

でも、わたしは、周りのように横浜銀蝿とか、その後の「暴威」とか尾崎豊サイコーとかいうテンションじゃなかったな。

高校は、つまらなかったので退学にならない程度に大人しいフリをして、早く成人したいとしか思ってなかったわ。だから存在感無かったと思うな。

そうですねえ、麻雀とゲーセンが生きる源泉でした。

これは楽しかったですね。よくカツアゲもされたけどね。

そんなわけで悪いことは、ほとんど中学生で卒業でした。。

 

しかし、わたしが単純だったのは20歳になったからといって、今日から大人だみたいな扱いを受けることにはならないってことを理解してなかったことでした。

当然だよね、ぜんぜんガキなんだから。

なので今考えると超生意気なガキだったです。

同じことを今の自分がされたら、ちょっとした殺意を覚えるくらいね。。。

 

正直に告白しますと真面目な高校生活を終えて、20歳になってやっと解禁なんてことは、ほとんど中学生のころでSEX以外は終わってました。

 

ああ、でも、わたし結局やらずにハタチだったんですよね_| ̄|○

女性に関してだけはオクテでした。。。軟派(ナンパ)の振りはしていたんですがね。

今にして考えると痩せてはいたけど、ぜんぜんイケてなかったなあ。

 

そういや「バンドブーム」も20歳のころだったかな。。。

イカ天」という番組がヒットしていてバンドマンのフリをしてれば、モテてましたよ。

楽器ができないヤツは「俺ボーカルだからさあ」と言い張ればOKでした。

当時は、カラオケボックスができ始めだったので、歌がヘタでもバレなかったです。

もし、カラオケに行っても飲み会とセットで、スナックで演歌を歌うのが普通でしたよ(笑)

 

女子が非常に強かった時代でもあって、「アッシー」とか「みつぐくん」とか「やぎ男」とか言われてた人もいましたね。(意味は分からないほうがいいかもね)

 

ちょっと脱線したので本題に戻りますが、

というか当時の(1980年代の)田舎の中高生なんて、そんなカンジでしたよ。

自分の世代が親になってから、子供を管理しようとか思ってるだろうけど、自分らの子供時代を考えたら、分かりますよね。。

 

親には今でも申し訳ないと思っていますが、とにかく家を出たいという理由だけで進学しましたので、親元を離れたら一気にタガが外れてヤバかったですねえ。。。

反省ですよ。。。

 

まあ、そんなわけで今の20歳の本当のところはどうなのか分からないけど、わたしの20歳のころはそんなカンジでした。

 

言うなら「自分を押さえられない小生意気なガキ」ですね。

 

今の20歳は、もっと成熟している印象を受けますが、人によるんでしょうね。

 

最後に、もし、現在のわたしに神様が「なかさだ、ノーリスクで、15歳のあの時代に戻れるけど、どうするよ?」とか言われたと仮定したとします。

 

答えはNOですね。

今、考えると実際、わたしの周りは地獄みたいだったんでね。

 

今の記憶をすべてリセットして戻れるなら、ちょっとだけ魅力的だとは思いますが。

生まれた家が違えば魅力的だとも思えますがね。

ただ、もし戻ったとしても、多分、今の人生とそれほど変わりはないと思います。

新生児で21世紀生まれになるのだったら面白いと思うけどね。

 

もう平成も28年ですけど、昭和もそれほど悪くはなかったですよ。

郷愁かもしれないですけど。

しかし、ずっと自分は、昭和の人間だと思っていたのに、いつの間にか平成のほうが長くなっているなんて驚きですよねw

 

そうですね、20歳っていうのは、「本人がどう感じていようと間違いなくいい時代だから、今の1日を大切に生きてほしい」というのが、オッサンからのメッセージです。

説教臭いけど、酔っぱらっているので、ご勘弁をです。

 

いくらオッサンでも、酒でも飲まなきゃ恥ずかしくて書けないよ、こんなお題 (๑> <๑)

それじゃ、また明日です。

 

 

 

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