@なかさだの「終わり良ければすべて良し」 All's Well That Ends Well by @nakasada

日常の生活や気になるニュース、趣味のゴルフ、カメラの日記、つぶやきです。サブログhttp://nakasadaxnobel.hatenablog.com/

NHK大河ドラマ 『真田丸』 第21回 「戦端(せんたん)」感想-今週の真田丸 (5/29放送 ネタバレあり) 

 

どうも、なかさだです。

 

NHK大河ドラマ真田丸』第21回

「戦端(せんたん)」感想

-今週の真田丸 

 

ご当地大河ドラマだから見るだけでは、つまらんので記事にしています。

*毎週日曜日6時のBSの放映後に更新するので閲覧注意です。

 

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実況はこちら

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Twitterハッシュタグ『#真田丸』も面白いですよw

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小日向文世演ずる秀吉の激怒のシーンは、迫力がありましたよね。

関係者全員を切腹させそうな気配だったしw

三成が珍しく感情的になるというシーンも印象深かったですが、正室で長年秀吉を支えてきたけど子供ができなかった寧が主役だった回にも思えました。

これから先も豊臣家は問題山積みなので、ますますこういうシーンが増えるんだろうなと予感させるような展開でした。

最近気になるのはBGMの使い方で、そのシーンの緊迫度が分かるなと感じます。

 

寧と三成と弟の秀長がいなければ、秀吉はただの暴君みたいなキャラに変わってきているような気がしますが、偉くなってからの秀吉しかこのドラマでは描かれないので仕方ないのかなとも感じますねえ。

 

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 有働アナのナレーションで何人の戦国武将が瞬殺されたのか(ナレーションで死亡、ナレ死)多すぎて覚えてないですけど、ナレーションで殺されるのは、まだいいほうで存在さえ分からない有名な武将も多いですよね。

羽柴秀吉の苗字の元になった丹羽長秀はナレーションですら出てきませんし、うろん様と呼ばれた織田信雄も出てきませんし、室町幕府最後の将軍である足利義昭も出てきません。

柴田勝家は茶々のセリフで登場でしたしねえ.....。

信繁が見たもの(創作なので見ていないもののほうが多いはずだが)以外は出てこない方針の大河ドラマってどうなんだろう?と最初から思っていたので慣れちゃいましたけどね。

毛利氏なんかも関が原の戦いまで出てこなそうだし、前田利家小早川隆景五大老のはずですが、当分出なそうですね。

新キャストの発表を見れば、なんとなく展開が分かりそうですけどね。

 

 

地元情報です。

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大河歴史館は来場者50万人を突破らしい。おめでとうございます。

年内に100万人突破したら大したものですな。

 

NHKの公式ホームページです。

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真田丸 - 2NN 2ちゃんねるニュース速報+ナビ - 2ch News Navigator

今まで見ていなかった人もここでチェックすれば、丸わかりです。

 

 まずは先週のおさらいから


5分で分かる真田丸~第20回「前兆」~

 

 

第20回「前兆」のあらすじ

 大坂編第7回

徳川の姫、本多忠勝の娘、稲を真田家(信幸)は嫁に迎える。

おこうは離縁されたが、下女として真田家に残った。

淀殿は秀吉の子を懐妊。

秀吉は後陽成天皇にも拝謁し、人生の絶頂を迎える。

そんな中大坂城下では、腹の子は秀吉の子供なのか怪しいと書かれた落書きが発見される。

これを知った秀吉は激怒し、門番17人を磔にした。

秀吉はもし犯人が見つからなければ、町人も処刑すると言い出して、三成は苦悩する。

信繁は犯人探しを命じられるが、結局見つからず尾藤道休という男を犯人に仕立て上げ、場を収めようとする。

秀吉は道休の首だけでは、怒りが収まらなかったが、寧の執り成しと三成の直訴で考えを改めた。

淀殿は無事にお捨を出産し、秀吉に待望の嫡男ができることになった。

www.nhk.or.jp

 

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*ネタバレというか今回のあらすじです

 

『真田丸』戦国を終わらせようとする秀吉、それに抗う父・昌幸の間で信繁は…/2016年5月28日 - エンタメ - ニュース - クランクイン!

秀吉は怒りに我を忘れ、その晩の門番17人を処刑。容疑をかけられていたが病に倒れた男の首を差し出すも、その家族、隣人もろとも殺せと命じ、ついには異論を唱えた石田三成山本耕史)にまで切腹を命じようとする。しかし、そこへ豊臣の正室・寧(鈴木京香)が登場。誰が何と言おうと殿下の子である、と叱咤激励し怒りを収めるのであった。

 第21話で、待望の嫡男誕生で勢いに乗る秀吉は北条氏政高嶋政伸)に上洛するよう迫る。秀吉に臣従すべきという家康(内野聖陽)の勧めにも耳を貸そうとしない氏政は、逆に秀吉に条件を突き付ける。それは真田が治める沼田領を引き渡すようにというものだった。

 自らの領地を勝手に交渉の道具にされ昌幸(草刈正雄)は「戦も辞さぬ」と激怒。戦国を終わらせようとする秀吉とそれに抗う父の間で信繁(堺雅人)は板挟みとなるのだった…。

 NHK大河ドラマ真田丸』第21話はNHK BSプレミアムにて5月29日(日)18時、総合テレビにて20時放送。

 

上記記事の引用

 

www.nhk.or.jp

(上のサイトからです)

待望の嫡男誕生で勢いに乗る秀吉は、北条氏政に上洛を迫る。

秀吉に臣従すべきという家康の勧めにも耳をかそうとしない氏政は、逆に氏政に条件を突きつける。

それは真田が治める沼田領を引き渡すようにというもの。

自らの領地を勝手に交渉の道具にされ、昌幸は「戦も辞せぬ」と激怒する。

戦国を終わらせようとする秀吉とそれにあらがう父との間で信繁は板挟みとなる。

 

参考に

豊臣秀吉 - Wikipedia

九州平定とバテレン追放令[編集]

その頃九州では大友氏龍造寺氏を下した島津義久が勢力を大きく伸ばし、島津氏に圧迫された大友宗麟が秀吉に助けを求めてきていた。天正13年(1585年)、関白となった秀吉は島津義久大友宗麟に朝廷権威を以て停戦命令(後の惣無事令第一号)を発したが九州攻略を優勢に進めていた島津氏はこれを無視し、秀吉は九州に攻め入ることになる。

天正14年(1586年)には豊後戸次川(現在の大野川)において、仙石秀久軍監とした長宗我部元親長宗我部信親十河存保大友義統らの混合軍が島津家久と戦うが、仙石秀久の失策により、長宗我部信親や十河存保が討ち取られるなどして大敗した(戸次川の戦い)。

だが天正15年(1587年)には、弟の秀長と軍監・黒田孝高を伴い20万の大軍を率いて九州に本格的に侵攻し、島津軍を圧倒、島津義久を降伏させる(九州征伐)。九州へ行く途中に、備後国へ亡命中の足利義昭のもとを訪れて会見、戦後に義昭は京都に帰り、将軍職を辞して出家した。こうして秀吉は西日本の全域を服属させた。

九州平定後、住民の強制的なキリスト教への改宗や神社仏閣の破壊といった神道仏教への迫害、さらにポルトガル人が日本人を奴隷として売買するなどといったことが九州において行われていたことが発覚し、秀吉はイエズス会準管区長でもあったガスパール・コエリョを呼び出し問い詰めた上で博多においてバテレン追放令を発布した。しかし、この段階では事実上キリシタンは黙認されていた。

同年10月1日には京都にある北野天満宮の境内と松原において千利休津田宗及今井宗久らを茶頭として大規模な茶会を開催した(北野大茶湯)。茶会は一般庶民にも参加を呼びかけた結果、当日は京都だけではなく各地からも大勢の人が参加し、会場では秀吉も参加して野点が行われた。また、黄金の茶室も披露されている。

朝臣として聚楽第を構え小田原征伐[編集]天正15年(1587年)、平安京大内裏跡(内野)に朝臣としての豊臣氏の本邸を構え「聚楽第」と名付ける(『太閤記』、フロイス『日本史』)。 天正16年(1588年4月14日には聚楽第後陽成天皇を迎え華々しく饗応し、徳川家康織田信雄ら有力大名に自身への忠誠を誓わせた。また、同年には毛利輝元が上洛し、完全に臣従した。さらに、刀狩令海賊停止令を発布、全国的に施行した[20]

天正17年(1589年)、側室の淀殿との間に鶴松が産まれ、後継者に指名する。(先週はここまでだった)

同年、後北条氏の家臣・猪俣邦憲真田昌幸家臣・鈴木重則が守る上野国名胡桃城を奪取したことをきっかけとして、秀吉は天正18年(1590年)に関東へ遠征、後北条氏の本拠小田原城を包囲した。

後北条氏の支城は豊臣軍に次々と攻略され、本城である小田原城も3か月の篭城戦の後に開城された。秀吉は黒田孝高織田信雄の家臣である滝川雄利を使者として遣わし、北条氏政北条氏直父子は降伏した。北条氏政北条氏照切腹し、氏直は紀伊高野山に追放となった[21]。 これによって、秀吉の天下統一事業がほぼ完成された。

 

上記記事の引用

 

小田原征伐についての詳細

小田原征伐 - Wikipedia

同年末の本能寺の変で信長が自刃した直後に織田家と断交し、織田家臣の滝川一益を敗退させた神流川の戦いを経て武田遺領の確保を目指した徳川家康との間に天正壬午の乱が勃発する。一時は東信濃を支配下に置いたが、武田遺臣の真田昌幸が離反する。後方に不安を抱えたままの合戦を嫌った後北条氏は、家康の娘・督姫を氏直の正室に迎え、武田遺領のうち後北条氏が上野、徳川氏が甲斐・信濃を実質領有することで講和の道を選んだ。しかし、徳川傘下となった真田昌幸は勢力範囲の一つ沼田の割譲が講和条件とされたことに激怒、徳川氏からも離反し上杉景勝を頼ることとなった。

後北条氏徳川氏との同盟締結によって、全軍を関東に集中できる状況を作りあげた。既に房総南部の里見家を事実上の従属下に置いていた北条氏は北関東に軍勢を集中させることとなった。

下野南部祇園城小山氏を滅ぼし唐沢山城佐野氏を乗っ取り、下野中央部宇都宮城宇都宮国綱を攻撃するが、国綱は常陸佐竹義重下総結城晴朝奥州白河小峰義親白河結城氏)らと同盟して独立を保ちつつ、居城を宇都宮城から要害地多気山多気城に移す。

宇都宮周辺部では壬生城および鹿沼城壬生義雄はもともと親北条であり、宇都宮家重臣で真岡城城主の芳賀高継も当初こそ主家に従い北条に抵抗するも天正17年(1589年)終にこれに屈し、那須一族とは主導的な盟約を結び、小田原開戦時点では下野の大半を勢力下に置いていた。さらに常陸南部にも進出し、奥州の伊達政宗と同盟を結ぶなど、一族の悲願である関東制圧は目前に迫った。しかし、追い詰められた佐竹義重、宇都宮国綱、佐野房綱らは秀吉に近づくこととなる。豊臣政権側としても、以前から後北条氏を警戒していたようである。

そんな最中、真田氏との領土紛争を起こした後北条氏は一旦は秀吉の仲裁によって、後北条氏沼田城を領有して紛争地域の大半を後北条領とする事で和解する事になった。その和解の条件として秀吉は氏政・氏直のどちらかの上洛を要求した(これは徳川家康島津義久義弘兄弟が豊臣政権に従った時にも条件の一つとして行われており、上洛以後は過去の敵対行為は一切不問とされている)。だが、後北条・真田双方ともその内部には仲裁案に不満を抱く者もおり、北条父子の上洛の話は実現しなかった。

代わりに板部岡江雪斎を使者として送り、一旦は氏政上洛という返事もあった。ところが、天正17年(1589年)11月、後北条方で沼田城猪俣範直による(真田氏の墳墓があったため、特に真田側の領有とされていた)名胡桃城占領と言う事態を迎える。これに対し秀吉は後北条氏惣無事令違反を非難して、その討伐令を全国の諸大名に通知した。範直の名胡桃城占領に関しては、範直の独断ではなく同時期に北条氏邦が宇都宮に侵攻していることから、暗に氏政の指示があったという説もあるが定かではない。同年12月13日、秀吉は宣戦布告の朱印状を以って陣触れを発した。

 

上記記事の引用

 

第21回「戦端(せんたん)」

 

毎週午後6時のBSプレミアムを見ながらサラッと書いていますので、シーンもセリフも漏れまくりです。

(後日、録画を見て加筆訂正して更新しています)

 

 望むものを全て手に入れたかに思えた秀吉であったが

 

京都 聚楽第のシーン

北条が再度上洛を断ってくる

 

関白をないがしろにしおって

 

 

信繁が太閤の子供を抱くか

 

家康に北条氏康のことをきく秀吉

徳川殿、北条氏政とはどんな男じゃ?

 

早雲より数えて4代目、関八州の覇者たる

誇りと自信を一人で背負い込んだような男でございます

 

討ち滅ぼすか?

 

今は力を蓄える時であります

ここは慌てず腰を据えてじっくりかかられてもよろしいかと

 

北条なんぞもはや殿下の敵にあらず

ほおっておいても、そのうち頭を下げてきましょう

 

お捨が泣き出す

 

一刻も早く天下統一を果たしたいのじゃ!

お捨のためにも

はよう日ノ本から戦を無くしたいのじゃ!

 

ここでお守りを秀吉と交代

 

 佐吉、北条攻めじゃ

 

早速戦の手配を

 

大谷吉継と三成は秀吉の急な心変わりに疑問を抱く

殿下が何故そこまで急がれるのか

 

誰かの入れ知恵に決まっておる

この数日の間に殿下は利休のところに行かなかったか?

 

裏に利休の進言があったようだ

おやりなはれ

殿下は今いい波に乗っておられる

この機を逃さず一刻も早く日の本を収め

しかし波とは寄せては引くもの

お子が安心して暮らせる世の中をお作りくだされ

 

北条を潰しなはれ

 

利休は殿下に取り入るために殿下の喜ぶことしか

お耳に入れん 

今は北条攻めの戦支度をするだけ

 

北条に再度上洛を促す書状が送られた

 

 北政所淀殿阿茶局のシーン

できたら浅井様似で育ってくれたらいいんだがねえ

殿下に似てしまったら2代続けて猿だがねw

 

大奥も微妙な関係だな

茶々様はお子が生まれてから自信をつけられたようで

この先どうなるか?

 

お世継ぎが生まれたことであちらこちらに火種がくすぶってまいりましたな

家康は豊臣家の崩壊を楽しんでいる

 

秀次の立場が微妙になってきた

きりに本心を打ち明ける秀次

 

沈んでいるように見えるか?

お捨が生まれてわたしががっかりしていると皆思っている

むしろホッとしている

わたしは叔父上がいなければただの百姓だ

わたしはそんな器だとは思っていないのでほっとしているのだ

お捨が元服するまでは頑張らねば

身が引き締まる思いとはこのことじゃ

 

秀吉の親バカぶりが半端ない

秀次に託された玩具(風車)を信繁に渡すきり

 

相変わらず、あのお方とは仲がいいな

 

妬いてらっしゃるんですか?

中納言様とは何でもございませんから

 

良いご縁だと思うがなあ

側室にでもなれば大当たり

 

本気で言ってるんですか?

いい加減わたしを振り回すのはやめてください

たまに私に気があるような素振りをしたかと思えば突き放したり

まるで子供ね

なぜもっと素直になれない

(こんなにセリフ多かったかなw)

 

どんな父親なのかしら源次郎は?

 

わたしはほとんど娘に会ったことがありません

 

会いたいとは思いませぬか?

 

殿下のご様子を見ていたら会いたくなりました

 

上田のシーン

作兵衛に育てられている源次郎の娘すえ、もう5歳なのか

 

上田城のシーン

何ゆえ手を付けぬ?

 

どれもこれも味が濃すぎます

塩味がきつすぎて頭がいたくなります

 

信州は寒さが厳しいので味が濃くなったのであろう

これよりは味を薄めに作らせる

 

どうぞお構い無く我儘な嫁だと思われたくありません

どうぞ、わたくしのことは放っておいてください

 

なかなか難しいのう

まるで俺に心を開こうとせん

 

そういう時は鼻っ面を掴んできゅーっとやってやればいいのです

 

そんなことしてみろ、すぐに本多忠勝が俺を殺しにやって来る!

日の本一厄介な姑だ

 

本多忠勝が来たらしいw

 

先日やって来て帰ったばかりではないか!!

することがないのだろうか?

 

信幸を無視して稲と寛ぐ姑の忠勝

 旨い蜜柑をもらったので持って参ったw

目下の者を大事にしてこそお家の繁栄があるのだ

その事忘れるでないぞ

 

婿殿何をしているのだ?

 

親バカめ、お前が来るなっていったんじゃねーか(聞こえないように)

 

婿殿、稲のことくれぐれも頼みますぞ

才色兼備気立ても良ければ武芸も達者

これほどのおなごは日の本中探しても他にはおらん

 

だからお主もぜひ稲にふさわしいもののふになってもらいたいのだ

 

精進いたしまする

 

 今日は親バカ2連発かw

 

突然お松が乱入

ばば様の調子が悪いようだ

 

行くでないぞ

風邪でもうつったらどうするのじゃ、ここにいなさい

忠勝ひでえなw

 

お前はここにいなさい

席を外す信幸

 

今週も、おこうが出てるしww

何年お仕えしていると思ってるんですか?

こうしてお仕え出来るだけでもこうは幸せでございます

 

元気になったんじゃないとか細かいなこの辺w

 

伊豆 韮山のシーン

板部岡江雪斎と鷹狩から帰ってきた北条氏政

 

何ゆえ家来風情に会わねばならぬ?

 

本多正信が家康より大事なことづけを預かっておると

 

ふっ、ふざけるな

 家康本人が来るならまだしも

そういうことか

 

夜の寺のシーン

家康は氏政に直々に会いに来た

相模守殿

 

これはこれは徳川殿、ハハハアハハア

 

あらかじめ断っておく、わしは秀吉なんぞには従わん

 

 ここだけの話でござるぞ

それがしもいつまでも秀吉の下につこうとは思っておらん

 

では、なぜ?

 

今は勝機がないゆえ

 

小牧長久手ではそなたが勝った

 

秀吉は今や天下統一に王手をかけております

長いものに巻かれるのは決して卑怯者の方便ではござらん

生きるための知恵と心得なければなりません

 

なぜ、徳川殿はわしを説き伏せようとする?

 

昔は敵同士だった間柄

されど今は長年の戦仲間と思っております

北条殿はこれからも関東の覇者として

ご健在であっていただきたい

この気持ち嘘偽りはござらん

 

面白いのう

 

上洛し秀吉に形だけ頭を下げるだけでいい

 

あとは何も変わらん

わしも上杉も真田もみな、そうしてまいった

 

北条の家と領地を守るため

それでも上洛を拒まれるのであれば

我らの間も考えなければなりませぬぞ

手切れとなれば氏直殿に嫁がせた娘も返してもらいます

 

そこまで申すか

上洛のことはもう一度持ち帰ってゆっくり考えるとしよう

しかし、これだけは誓って言う

いずれ北条は秀吉を倒す(これだけ追い込まれているのに状況判断がおかしいよな)

 

心してかからせませ

さもなくば北条は滅びますぞ

 

ナレーションで北条氏終わりかと思ったわw

 

氏政が帰ったあとの家康と本多正信のシーン

殿の誠心誠意のご忠告、氏政殿も胸に染みたでございましょうな

で、まこと嘘偽りはございませんのか?

 

もっと素直にならんか

確かに北条には滅んでもらったほうがどれだけ助かるか

しかし心底救ってやりたくなったのじゃ

何の得にもならぬが助けたくなった

 

それでこそ我らが殿

 

 どう出るかのう?

 

 相模 小田原城のシーン

父上は秀吉に屈するのですか?

 

板部岡江雪斎上洛にあたって我が方の望みを伝えよ

沼田じゃ!

沼田を真田から取り戻すように秀吉に伝えよ

 

京都聚楽第のシーン

なめおって氏政め(目が怖い)

 

沼田を真田から取り上げ北条に渡す

その采配を殿下が行うのです

天下惣無事の良き手本になるかと

 

真田が納得せんだろう

 

 三成と吉継と信繁のシーン

沼田は真田の城でございます

 

沼田を渡さねば上洛せぬそうだ

 

父が納得いたしませぬ

 

全ては戦を起こさぬため、まげて頼む

三成に言われ信繁は親父殿を説得することになった

 

昌幸は文を受け取り京都に出仕することになる

 

関白に子ができたことで様々な思惑が動き始めた

やはり秀吉の世はそう長く続かんと思う

 

ようやく面白くなってきましたな

 

出浦昌相も連れて行く

 

源三郎は留守番か

気を晴らしとうございます

お願いでございます

 

お主にはこの城を守るという大事な役目がある

 

関白殿下のお考えじゃ

いずれ全ての大名が京に人質を置くことになる

大名同士が勝手に戦を始めぬように

京に住めるのじゃ、我慢せい

 

京都の真田屋敷のシーン

信繁は昌幸を説得にかかる

で、わしは此度なんで呼ばれたのじゃ?

 

そんなことができるか!!

今更沼田を北条に渡せるわけないだろ

これまでどれだけ苦労して沼田を守ってきたか

お前も分かっておろうが!!

 

キレる昌幸

 

そんなことのためにわしは京に来たのか?

冗談ではない!

 

昌相

源次郎が困っておるぞw

 

 

どうしても沼田が欲しければ力ずくで攻め取るがよい

わしはいくらでも受けて立つ!!

北条にそう伝えろ~!!

 

説得は失敗

 不首尾に終わりました(面目ない信繁)

 

大谷吉継

秀吉の前で北条と真田を合わせ談判させるというものである

 戦ではなく話し合いで解決する

その上で沼田を治めるのは北条か真田か殿下が白黒はっきりさせる

 

三成と秀吉のシーン

面白いw

徳川殿を交えて話し合いします

 

すぐに手配せよ

 

昌幸は駄々をこねる

嫌じゃ

氏政がこっちに来るのか?

 

これが新しい時代の戦なのです

父上、殿下の前で氏政と渡り合ってもらいたいのです

沼田を守るために

 

戦ならば受けて立つしか他はあるまい

 

しかし氏政は上洛しないことにした

 真田昌幸と直に話せと言うてきた

秀吉の言いなりにはならん

わしが京に上るのはあくまでも沼田を取り戻してからじゃ

順序が逆よ、上洛はせん!

 

このままでは戦になり申す!

息子の氏直は悩む

お主は秀吉と戦ったら負けると思うか?

 

負けぬとしても大変な痛手を被りましょう

親方様が代わりに上洛されては?

 

バカを言うな!当主のわしが顔を出して命を狙われたらどうする?

結局、板部岡江雪斎が名代として京都に行くことになった

真田と渡り合い沼田を取り戻してごらんにいれます

 

駿河 駿府城

氏政め大人しく上洛すればよいものを

 

沼田か、喉に刺さった小骨じゃのう

魚の小骨のように引っかかるとはいい例えだな

 本多正信が家康の代理で京都に行くこととなった

 

真田屋敷、昌幸と信繁のシーン

氏政も家康もこんとはどういうことじゃ

ばかにするな!

あいつらが来ないのならわしも下りる!

そんな場にのこのこ出て行かれるか!

 

出浦様

 

これは好機かもしれんぞ

一兵も失わず沼田を得られるかもしれん

 

うるさ~い!!

 

上司に報告する信繁

真田が加わらなければ話にならん、お前が代理をしろ

 

今は北条と戦をするときではない

戦えば未曾有の大戦になる

大軍になればせっかくの惣無事が台無しになる

その先には何がある?

大名が互いに喰らい合う乱世に逆戻りするだけだ!

 

三成が何としても話し合いでなんとかしろと

信繁に言っても仕方がないような気がする

 

戦を避けるためだ!

 

結局、信繁が昌幸の代理で板部岡江雪斎北条氏政の代理で談合することになった

本多正信が同席

 

(蝉の鳴き声というのは真夏の設定なのかな)

信繁は席をいったん外し納戸へと向かった

 

父上、ここに隠れているのなら向こうに一緒に参りませぬか?

 

昌幸、陰に隠れてるしww

お前がやるんじゃ、いつまでも親を頼るな

わしがここにいること誰にも言うな

徳川を味方につけるのじゃ

徳川がどっちにつくかで勝負は決まる

絶対に北条に沼田は渡すなよ

 

これは戦じゃ!

昌幸に胸を叩かれ(気合を入れられ)咳き込む信繁

(細かいな演出)

 

まずは本多正信を味方につけようとする信繁

顔芸ww

 

庭で待機する秀吉 

三者揃いましてございます

 

では参るか

 

関白殿下のおなりでございます

このテーマソング馴染んだなあw

 

上座だけどとんでもなく遠いな

関白太政大臣豊臣秀吉であるぞ

 

沼田城は上野の崖の上に立つ小さな城にすぎない

しかし、その小城をめぐり

真田、北条、徳川、豊臣の威信を賭けた戦いが今始まろうとしている

 

 

 今日はこの辺でさようなら

 

 

 

 

まとめ

 今日で北条氏も見納めかなと思ったら、信繁が大活躍しそうな来週の予告で終わりでした。

実際はどうだったのかは知る由もないのですが、当事者の次男坊が大活躍した結果、秀吉が北条氏を攻め滅ぼすというのは、あり得なさすぎのような気もしますね。

昌幸は未だに秀吉の天下は長く続かんとか言っているし、どう見ても劣勢の氏政はあくまで抗戦するつもりでいるというのも、地方と都の情勢判断の差が出ているのかな。

家康の立場というのが、どんどん重要になってきているような気もしましたね。

沼田がこの事態の焦点になっているとはいえ、相変わらず他の大名がまったく出てこないのも不思議といえば不思議でした。

多分この事態とはまったく関係なかったはずの出浦氏くらいかww

 来週も見ないとストーリーが、分からなくなりそうな終わり方で中途半端ですよね。

 2話で完結のエピソードだったとは、瞬殺ナレーターの有働アナも思ってなかったんじゃねえかなwww

先週は名探偵真田信繁、来週は新人弁護士真田信繁が見られるかなw

 今回も抜けている部分もあると思うので後日、更新しますね。

第22回「裁定(さいてい)」に続く

 

 

参考記事

zasshi.news.yahoo.co.jp

 

tvfan.kyodo.co.jp

www.oricon.co.jp

www.sponichi.co.jp

 

それでは、また来週。

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