@なかさだの「終わり良ければすべて良し」 All's Well That Ends Well by @nakasada

日常の生活や気になるニュース、趣味のゴルフ、カメラの日記、つぶやきです。サブログhttp://nakasadaxnobel.hatenablog.com/

NHK大河ドラマ 『真田丸』 第37回 「信之(のぶゆき)」感想-今週の真田丸 (9/18放送 ネタバレあり)

 

 

どうも、なかさだです。

 

NHK大河ドラマ真田丸』第37回

「信之(のぶゆき)」感想

-今週の真田丸 

 

ご当地大河ドラマだから見るだけでは、つまらんので記事にしています。

*毎週日曜日6時のBSの放映後に更新するので閲覧注意です。

 

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 先週は、ああ、やっぱりそうなのか、三谷という感じの内容だったかな。

ある意味、期待を裏切らない脚本家だよね。

でも、お金をかける部分は間違えていると思うな。

今週は、大谷刑部と石田三成の最期のシーンがあるらしいけど、どんな感じだろうね。

敗者が勝者によって裁かれるという回なので、どのように家康と昌幸を描くのか、楽しみではある。

合戦シーンがある回は、3DCGとナレーションで終わってしまうことが多いけど、クライマックスの大坂の陣だけは、普通の歴史ドラマっぽくなるのかもしれないね。

正直、上田合戦のシーンが前回より、さらにショボかったのは予想通りだったかな。

もう慣れちゃったけどねえ。

全50回放送なので、残り13回は大坂の陣編になるのかもしれないですけど、真田家には特にイベントがないので、(昌幸は死んじゃうけど)どう引っ張るのかなと興味はありますね。

 

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と思っていたら、来週お亡くなりになるようで、けっこう急な話だなw

 白髪になってるのは10年くらい一気に物語が進むようで、本多忠勝も亡くなるのではと噂されているようですね。

 

 

 

地元情報です。

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明日は上田市内は混雑するのかな?草刈正雄さんは、人気ありますからね。

天気次第かもしれませんけどね。

9月8日にもトークイベントで来ていたらしいし、ご当地ならではなのかな。

 

 

 

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堺雅人も実年齢に近くなって自然な感じですよね。

 第40回「幸村(ゆきむら)」10月9日放送で「信繁」から「幸村」に変わるらしい。

NHKもPRが上手いな。

 

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NHKの公式ホームページです。

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真田丸 - 2NN 2ちゃんねるニュース速報+ナビ - 2ch News Navigator

今まで見ていなかった人もここでチェックすれば、丸わかりです。

 

まずは先週のおさらいから


5分で分かる真田丸~第36回「勝負」~

 

 

 

 

 

 

第36回「勝負(しょうぶ)」のあらすじ

 

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第36回は、上田城で真田と徳川が激突する。昌幸(草刈正雄さん)と信繁は、信幸と別れ、徳川秀忠星野源さん)を迎え撃つために上田城に向かう。途中、一行は沼田城に寄るが、信幸の正室・稲(吉田羊さん)は信幸の徳川への忠義を疑われないよう、昌幸たちを追い返す。信幸は徳川家康内野聖陽さん)から上田攻めの先鋒(せんぽう)を命じられ、真田家は親子の直接対決を強いられるが、信幸と信繁は一計を案じる。真田は徳川の大軍を撃退。勝利に沸く城内に関ケ原から衝撃の知らせが届く。

 信繁は、信幸との戦闘を避けるため、頭を悩ませることになる。また、昌幸がどのような策で徳川を迎え撃つのかも注目される。

 「真田丸」はNHK総合で毎週日曜午後8時ほかで放送。

 

上記記事の引用

 

 

 

*ネタバレというか今回のあらすじです

mantan-web.jp

俳優の堺雅人さんが主演を務めるNHK大河ドラマ真田丸」の18日放送の第37回「信之」では、真田信繁(堺さん)の兄・信幸(大泉洋さん)が、家康(内野聖陽さん)に信繁と父・昌幸(草刈正雄さん)の助命を嘆願する。また、信幸が、父と同じ“幸”の字を捨て、“信之”となる。

 

第37回は、信幸が家康に昌幸と信繁の助命を嘆願する。昌幸と信繁は関ケ原で西軍が敗北したことによって徳川に降伏。信幸は本多忠勝藤岡弘、さん)と共に家康に助命嘆願し、代わりに“信幸”の名を捨てる。罪人となった昌幸と信繁は徳川に大坂へ呼び出され、三成と大谷刑部(片岡愛之助さん)の最期について知ることになる。昌幸と信繁は真田への怒りに燃える家康と対面。昌幸は家康を前にしてもプライドを捨てず、家康は処罰に込める真意を明かすことになる。

 昌幸と信繁は高野山に流罪となる。また、三成、刑部の最期が描かれるほか、大坂の陣で信繁と共に戦う毛利勝永岡本健一さん)や信繁の娘・すえ(恒松祐里さん)も登場する。

 「真田丸」はNHK総合で毎週日曜午後8時ほかで放送。

 

上記記事の引用

 

www.nhk.or.jp

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参考に

真田昌幸 - Wikipedia

 

真田 昌幸(さなだ まさゆき)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将大名

甲斐武田信玄の家臣となり信濃先方衆となった地方領主真田氏の出自で、真田幸隆(幸綱)の三男。信玄・勝頼の2代に仕え、武田氏滅亡後に自立。織田信長の軍門に降り、滝川一益の与力となったが、本能寺の変後に再び自立し、近隣の北条氏徳川氏上杉氏との折衝を経て、豊臣政権下において所領を安堵された。上田合戦で2度にわたって徳川軍を撃退したことで、徳川家康を大いに恐れさせた逸話で知られるが、関ヶ原の戦いで西軍についたために改易された。

 

配流[編集]

関ヶ原の戦後処理において、徳川家康より昌幸・信繁父子には上田領没収と死罪が下される。昌幸は討死覚悟で籠城する決意を固めるが、東軍に属した長男の信幸(後の信之)とその舅である本多忠勝の助命嘆願で助命され、高野山への蟄居が決められた[68]信濃上田の真田領に関しては信幸に与えられ、信幸は沼田27,000石、上田38,000石、加増30,000石の合わせて95,000石を領する大名となり、真田家の存続に尽くした[69]

昌幸は慶長5年(1600年)12月13日に上田城を発して高野山に向かった[69]。昌幸の正室は上田に残留し、次男の信繁とその妻子、さらに池田長門・原出羽・高梨内記・小山田治左衛門・田口久左衛門・窪田作之丞・関口角左衛門・関口忠右衛門・河野清右衛門・青木半左衛門・飯島市之丞・石井舎人・前島作左衛門・三井仁左衛門・大瀬儀八・青柳清庵ら16人が従った[70]。昌幸の去った上田城は徳川方に接収され[69]、家康の命令を受けた諏訪頼水らによって破却された[71]。なお信之と別れの対面をした際に、恐ろしげな目からはらはらと涙を流して「さてもさても口惜しきかな。内府(家康)をこそ、このようにしてやろうと思ったのに」と無念の胸中を語ったと伝わっている[72]

高野山での昌幸の配所は1里ほど麓の細川という場所であった。しかし、間もなく配所は九度山(現・和歌山県九度山町)に代わる。信繁が妻を伴っていたため「女人禁制」の関係で代わったとも、冬の高野山の寒さに耐えかねて代わったとも[73]言われている。なお、流人ではあるが昌幸・信繁の屋敷が別々に造営され(真田庵)、家臣の屋敷も近くに造られるなど、普通の流人よりはかなり厚遇されていたようである[71]。昌幸の生活費に関しては国許の信之、関係の深かった蓮華定院和歌山藩主の浅野幸長からの援助で賄った[74]。しかし生活費に困窮し、国許の信之に援助金を催促するため10年余の間に20余通の書状を出している。このことからも、昌幸が上田を去った後も、信之との関係が疎遠にならず、親密な仲を維持していた事が伺える[74][75]

最期[編集]

10年余り続いた流人生活は昌幸の気力を萎えさせた[76]。晩年の3月25日付(年次不明)の信之宛書状では「此の一両年は年積もり候ゆえ、気根くたびれ候(中略)、ここもと永々の山居、よろず御不自由御推察なさらるるべく候」とある[54]

また配流当初には信之を通して赦免運動を展開し[76]、慶長18年(1603年)3月15日付で国許の信綱寺へ宛てた書状[77]があり、その内容から赦免されて国許に帰還する希望を持っていたようである。また国許の家臣との関係も親密で、家臣が昌幸を頼って九度山に逃れてきた事もある[32]

最晩年の昌幸は病気がちだった。信之宛の書状では信之の病気平癒の祝言を述べると共に自らも患っている事を伝えている[78]。また書状では「此の方別儀なく候、御心安くべく候、但し此の一両年は年積もり候故、気根草臥れ候、万事此の方の儀察しあるべく候」とあり、さらに「大草臥」と繰り返しており、配流生活は年老いた昌幸を苦しめたようである[54]

慶長16年(1611年)6月4日、九度山で病死した。享年65(67とも[5][3][78]

 

ウイキペディアより引用

 

 

徳川家康 - Wikipedia

 

東軍は、家康の徳川直属軍と福島正則らの軍勢、合わせて10万人ほどで編成されていた。そのうち一隊は、徳川秀忠を大将とし榊原康政・大久保忠隣・本多正信らを付けて宇都宮城から中山道を進軍させ、結城秀康には上杉景勝・佐竹義宣に対する抑えとして関東の防衛を託し、家康は残りの軍勢を率いて東海道から上方に向かった。それでも家康は、動向が不明な佐竹義宣に対する危険から江戸城に1ヶ月ほど留まり、その間160通近い書状を諸大名に回送している。

正則ら東軍は、清洲城に入ると、西軍の勢力下にあった美濃国に侵攻し、織田秀信が守る岐阜城を落とした。このとき家康は信長の嫡孫であるとして秀信の命を助けている。

9月、家康は江戸城から出陣し、11日に清洲、14日には赤坂に着陣した。前哨戦として三成の家臣・島左近宇喜多秀家の家臣・明石全登が奇襲、それに対して東軍の中村一栄有馬豊氏らが迎撃するが敗れ、中村一栄の家臣・野一色助義が戦死している(杭瀬川の戦い[注釈 18]。)。

家康は自らの軍師臨済宗の禅僧である閑室元佶関ヶ原の戦いに従軍していた)に易による占筮を行わせ、大吉を得た。

9月15日午前8時頃、美濃国関ヶ原において東西両軍による決戦が繰り広げられた。開戦当初は高所を取った三成ら西軍が有利であったが、正午頃かねてより懐柔策をとっていた西軍の小早川秀秋の軍勢が、同じ西軍の大谷吉継の軍勢に襲いかかったのを機に形成が逆転する。さらに脇坂安治朽木元綱赤座直保小川祐忠らの寝返りもあって大谷隊は壊滅、西軍は総崩れとなった。戦いの終盤では、敵中突破の退却戦に挑んだ島津義弘の軍が、家康の本陣目前にまで突撃してくるという非常に危険な局面もあったが、東軍の完勝に終わった(関ヶ原の戦い)。

9月18日、三成の居城・佐和山城を落として近江国に進出し、9月21日には戦場から逃亡していた三成を捕縛。10月1日には小西行長安国寺恵瓊らと共に六条河原で処刑した。その後大坂に入った家康は、西軍に与した諸大名をことごとく処刑改易減封に処し、召し上げた所領を東軍諸将に加増分配する傍ら自らの領地も250万石から400万石に加増。秀頼、淀殿に対しては「女、子供のあずかり知らぬところ」として咎めず領地もそのままだったが、論功行賞により各大名家の領地に含めていた太閤蔵入地豊臣氏の直轄地)は諸将に分配された。その結果、豊臣氏摂津国河内国和泉国の3ヶ国65万石の一大名となり、家康は天下人としての立場を確立した

 

征夷大将軍[編集]

慶長5年(1600年)12月19日、文禄4年(1595年)に豊臣秀次が解任されて以来、空位となっていた関白に九条兼孝が家康の奏上により任じられた。このことにより、豊臣氏による関白職世襲を止め旧来の五摂家に関白職が戻る(豊臣家は摂家の一つにすぎないとされただけで、将来の豊臣秀頼の関白職就任が完全に否定されたということではない)。

詳細は「征夷大将軍#歴代の征夷大将軍」を参照関ヶ原の戦いの戦後処理を終わらせた慶長6年(1601年)3月23日、家康は大坂城・西の丸を出て伏見城にて政務を執り、征夷大将軍として幕府を開くため、徳川氏系図改姓を行い、家康は神龍院梵舜に命じて徳川氏の系図を足利氏と同じく源義家に通じるようにさせた[要出典][注釈 19]

慶長7年(1602年)、関ヶ原の戦いの戦後処理で唯一処分が決まってなかった常陸国・水戸の佐竹義宣を出羽国久保田に減転封。代わりに佐竹氏と同じく源義光の流れをくむ武田氏を継承した五男・武田信吉水戸藩に入れた。

慶長8年(1603年)2月12日、後陽成天皇参議勧修寺光豊勅使として伏見城に派遣。朝廷より六種八通の宣旨が下り、家康を征夷大将軍、淳和奨学両院別当右大臣に任命した。武家の棟梁征夷大将軍への任官に伴い源氏長者ほかの官職を与えられる栄誉は足利義満から始まった慣例である。[要出典]

同年3月12日、伏見城から二条城に移り、3月21日、衣冠束帯を纏い行列を整えて御所に参内し、将軍拝賀の礼を行い、年頭の祝賀も述べた。3月27日、二条城に勅使を迎え、重臣や公家衆を招いて将軍就任の祝賀の儀を行った。また4月4日から3日間、二条城で能楽が行われ諸大名や公家衆を饗応した。これにより征夷大将軍徳川家康武家の棟梁となる地位を確立した[注釈 20]

 

ウィキペディアより引用

 

 

 

 

 

第37回「信之(のぶゆき)」

 

 毎週午後6時からのNHK BSプレミアムの放送を見ながら書いてますので、セリフもシーンも漏れまくりです。

(後日、録画を見て加筆校正して更新しています。)

 

来週からは和歌山県 九度山がメインになっていくんだろうな...........。

 

真田は上田城において、またしても徳川軍を撃退した

勝利に沸く真田家に、

石田三成の軍勢が惨敗したと知らせが届く(ナレーション)

 

上野 沼田城

信幸のところにも東軍圧勝の知らせが届く

 

一日で決着が付くとは10万を超える軍勢がぶつかった

未曾有の大戦だぞ

 

詳しくは分かりませぬが徳川方の大勝利

殿や源次郎様はどうなってしまうのでしょう?

 

 

信濃 上田城

昌幸は現実を見ようとしないで息巻く

 

降伏はせんぞ!

金輪際するもんか!!

真田は徳川に勝ったのだ!

そうだな、内記?

なんで頭を下げねばならぬのじゃ!

 

お気持は分かりますが関ヶ原

石田様が敗れてしまったからには・・

 

軍勢はどうなってる?

 

本軍は去りましたが備えの兵が

あちこちに残っております

 

葛尾城を根城に鼠宿あたりまで

陣を布いておるのです

 

どちらに行かれるのですか?

 

よし、決まっておるだろう

そやつらを片付けるのよ

内記ついて参れ!

 

 

 

納得がいかない昌幸は出陣して徳川勢に夜討ちをかける

葛尾城に攻撃をかける昌幸

 

佐助から信繁に大阪の情報が入る

いつのことだ?

 

徳川内府が大坂城に入ったのが9月の27日

石田治部様が虜となられたのが

その6日前でございます

大阪は徳川の兵で溢れ返っております

 

 

昌幸は無事に帰還してきた

これから葛尾城を落とす!

 

父上!

 

 大坂城が徳川の手に落ちました

石田治部様も既に捕らえられたとのこと

 

参るぞ!!

 

もはやこれまででございます

 

父上!!

勝敗は決しました

これ以上の戦いは無駄でございます

 

 信繁に諭され、上田城の廊下に座り込む昌幸

まだ、上杉がおる

上杉と図って

江戸を抑えれば~!!

 

父上!!

 あとは兄上に任せましょう

 

 

昌幸は無念で何度も廊下の床を叩く

ドン ドン ドン

高梨内記小山田茂誠は昌幸の無念を見守るだけだった

(本当に悔しそうだな、このシーン)

 

 

大坂城

家康は関が原に遅参し間に合わなかった秀忠を非難する

本多佐渡までつけたのにとネチネチ責められる秀忠

 

真田安房守が伊豆守を通じて降伏を申し入れて参りました

 

真田が?

 

上田城を明け渡すと

 

ようやくでございましたなあ

 

正信がついていながら随分と手間がかかったものだな

 

言葉もございません

 

城攻めは早すぎたか?

 

それは・・・

(余計なことを言わないようにと秀忠に目配せする正信)

 

城の受け取りはいかが致します?

誰を遣わしましょう?

 

倅でよい

 

父親と合わせれば内通しないとも限りません

 

お前以上に疑り深いのう

(正信、正純親子を見ながら)

 

お言葉でございますが父上

我らは攻め落とすつもりでいたのです

父上からの西へ急げとのお言葉がなければ

間違いなく攻め落としておりました

(家康は機嫌を損ねたような表情だ)

 

御無礼を致しました

 

真田安房守と左衛門佐はいかが致しましょう?

(慌てて話題を変える本多正信

 

石田治部の処分もまだ決めておらん

他の大名の処分もあるから

真田ごときは後回しでよい

 

 

 

 信濃 上田城

平野長泰は上田に沙汰を伝えに来た

三十郎が沙汰を伝える

 

かつて太閤殿下もとでともに馬廻衆として働いていた

我らがこうして敵味方となり一方は城を明け渡し一方はそれを受け取る

人生とは分からぬものだな

(シリアスだな平野課長w)

 

まったくでございます

 

 明け渡しにつき沙汰を伝える

三十郎殿、頼む

 

一つ 兵はひとり残らず去らせること

一つ 武具、鉄砲、玉薬はことごとく召し上げる

一つ 真田安房守、ならびにその子左衛門佐は

城内においてしばし蟄居

処分については後日 以上

 

 

茂誠と信繁二人きりだ

信繁は真田の郷がある烏帽子岳を眺めて言った

あの烏帽子岳が三度白くなると郷にも雪が降ると言われております

ご存知でしたか?

 

わしがいけないのだ

武田に始まって北条真田と

わしがお仕えする家はことごとく滅んでいる

 

茂誠は仕えた家がことごとく

滅んでいるので信繁に詫びを入れる

 

真田はまだ滅んでおりませぬ

大丈夫、必ず生き伸びられます

 源三郎兄上もおりますから

(義理の兄に気を使う信繁)

 

 上野 沼田城

大阪へ?

徳川内府様に会うてくる

父上と源次郎の命乞いじゃ!

信幸は大阪へと向かうことにした

 

内府様はお許しくださいましょうか?

 

しかし、俺はなんとしても二人を助けねばならん

それが俺の使命なのだ

 

 

大阪から忠勝が訪ねてきた

御免仕る、大阪から本多中務大輔様がお見えになりました

 舅殿が止めても俺は行く! 

 

稲、城の前で安房守を追い返したらしいな

父の耳にも入っておる、さすが本多忠勝の娘じゃ!

肝が座っておるな

 

お恥ずかしゅうございます

(上機嫌な忠勝)

 

これは婿殿

乱世の倣いとはいえ親兄弟を敵に回したこと

さぞ辛かったであろう

 

舅殿、わたしはこれより大阪に参ります

敵味方に分かれても親子でござる!

兄弟でござる!

みすみす死なせるわけには参りません

徳川内府様にお会いして命乞い致します

 

 

あの者達は我殿を裏切ったのだぞ!

 

わたしは真田安房守の嫡男

父親の命を救うのは子の勤めでございます!

御免

 (太刀と脇差しを携え、その場を去ろうとする信幸)

 

 

(信幸の心意気に忠勝は応えた)

待てい!!

そなたの親を思う心は天晴じゃ

わしも共に殿の御前で安房守の命乞いを致そう

 

たった今大阪から来られたばかりでは?

 

それがどうした善は急げじゃ!

参るぞ!

(信幸よりも先に歩いて行ってしまう忠勝)

 

上田城

地味に片付けが進んでる城内

(掛け軸の裏に隠し部屋がw)

松は処分が理不尽だとゴネる

 

わたしは全く心配しておりませんよ

だって父上は関が原の戦には加わっていないのでしょう?

上田でちょこちょこっと戦っただけなんですから

 

ちょこちょこではありませんでしたけど

 

うちの人から聞いたけど

こっちが勝ったというよりも向こうが

勝手に負けたようなもんなんですよねえ?

ですよね?

(同席している大井正吉に同意を求める松)

それでお咎めを受けるなんて

あまりにも理不尽です!

 

もう分かったから行きなさい

 

源三郎がいます

必ずあの子がなんとかしてくれます

 

姉上わざわざありがとうございました

 

さあ参ろう!

(茂誠に連れ出される松)

 

 

 

親子2人で食事のシーン

 

思えば信長が死んだ頃が最も楽しかったのう

明日に命もしれぬ日々であったが、

生きておるという手応えがあった

長生きしすぎたのかもしれんのう

(昌幸は諦めたのだろうか?)

 

おい

白湯が欲しいのだが

 

おおい!

 

見張りのものに命じる昌幸

 

どこかでお会いしましたか?

 

いや?

 

なぜ某の名前を?

 

失礼ですが

(お名前は?)

 

 徳川家臣 大井政吉

(おおい まさよし)

白湯を汲みに行くおおいまさよし

御免

 

大井殿かwwww

(気が付かなかったわ、ここ)

ハハハハハ ハハハハ

 

これからどうなる?

 

兄上次第

 

死罪は免れたとしてもそのあとは?

 

改易は免れないでしょう

 

改易?

 

領地は召し上げ、我らは土地も持たず

主もいない牢人ということになります

 

 

 

大坂城

家康は

安房守は助けてやりたいのはやまやまだが

ここは親子ともども死んでもらう

 

我らに楯突いたこと許されるものではない

命乞いなどもってのほか!

 

 お待ち下さい!

 

忠勝は

あいや、しばらく!!

真田安房守、左衛門佐の命 

某に免じてどうかお助け下さいませ!!

(家康に頭を下げる忠勝)

 

無理を言うな平八郎

 

本多平八郎忠勝

一世一代の無理を言わせていただきます!

 

ならぬものはならぬ!

(威圧する家康)

 

本多殿、そのへんで殿がお困りだ!!

本多正純は殺しにかかっている)

 

ならば拙者

婿とともに上田城に立てこもり徳川の兵を相手に

討ち死に仕る!

 

たわけたことを申すな

 

平八郎は本気でござる!!

 

家康は以外にも折れた

フッ・・フフフフ・・・

命までは取らぬ

平八郎にそこまで言われたら仕方なかろう

 

 ありがとうございます!

ありがとうございます!

(命乞いは一応成功した)

 

家康は信幸に命令する

その代わり伊豆守

そなたはこれを持って父親と縁を切れ

 

かしこまりました!

お主の諱は(いみなは)確か?

 

信幸でございます

 

幸の字は?父親からもらったものだったのう?

 

父、昌幸の幸の字を受け継ぎました

 (うんうんうんうなづいて家康は言った)

捨てよ

 

(この無茶振りを信幸は、のむしかなかった)

かしこまりました!!

 

(笑みを浮かべ家康は満足そうだ)

 

 

正純と家康は席を外した

かたじけのうございました

泣きながら忠勝に礼を言う信之

 

殿に歯向かったのは生まれて初めてじゃ

 

 大坂城 西の丸

信之は母に会う

母は人質生活が続いて衰弱していたが

息子にあって安心する

 

ようご辛抱なされましたな母上

 

きりから関ヶ原以後の話を聞く信之

きりと春は心配ないようだ

 

 とにかくこちらはお任せあれ

わたしがしっかりお守りしています

 

 

上田城

昌幸は囲碁

信繁は将棋を指していると信之がやって来た

我らだけにしてくれ

 

それはなりませぬ

 

某とて今は徳川の家臣

 

必ず立ち会うようにと言われております

 

大阪にて徳川内府様におすがりしました

 お二人の命までは取らぬということで決しました

 

ありがとうございました

 

そんなことは当たり前じゃ・・

あとは?

 

無念ですが小県の領地は全て召し上げ

 

あとに入るのはどなたです?

 

まだ決まっておらぬが、おそらく俺だ

 

兄上が治めてくれるのであれば

願ったり叶ったりです

真田の地が守れます

 

 

 

で、わしらはどうなる?

 

お二人は高野山に流罪に決まりました

 

流罪?

高野山の坊主たちと暮らせというのか?

 

高野山は女人禁制の上

麓の九度山村に屋敷を建てます

 

九度山

 

聞いたこともないわ!

この役立たずが!

何のために徳川についた!!

 

兄上は精一杯骨を折ってくださいました

 

すまん、言い過ぎた・・・

 

これからも力を尽くします!

どうかお許し下さい!

(今度は実の父親との板挟みか)

 

 

兄上はここに残り城の明け渡し役をお願いします

茂誠は上田に残り信之の家臣になることを命じられる

姉上とともに源三郎兄を支えて欲しいのです

 

茂誠、松を頼むぞ

 

作兵衛もすえの親代わりで上田に残る

すえは信濃のおなごとして育って欲しいのだ

分かってくれ

 

内記、お前の身の振り方は自分で決めろ

決してもう若くはないのに無理強いはできん

 

死ぬまで殿のおそばにお仕えいたします!!

高梨内記高野山についていくことになった

 

よいか、これは永久の別れではない

いずれ会える日を楽しみにしておるぞ

では、おのおの抜かり無く

 

 

出浦さん生きていたのか!

明日の朝、出立じゃ

お主は源三郎に託した

今後は、沼田で養生せよと伝える昌幸

 

佐助が弱って寝たきりになった出浦さんの企みを昌幸に伝える

 何と?

 

大坂城は掘割が込み入っている

九鬼水軍と密かに結びすっぱを水の取り口から

忍び込ませれば徳川内府の寝首を掻ける」

 

あい、わかった

動けない出浦昌相の手をとる昌幸

(昌相とは最後までいいコンビだな)

 

 作兵衛に連れられてすえが会いに来た

いくつになった?

 

16になりました

 

これからは源三郎叔父上を父上と

 

すえにとって父は一人でございます

父は作兵衛叔父上だけでございます

 

こらっ!

 

父親らしきことは何一つしておらぬゆえ

そなたの幸せ西の遠い空から祈っておるぞ

 

またお会いできる日を心待ちにしております

 

 父上、そろそろ

慶長5年(1600年)12月13日上田城は正式に徳川に明け渡された

(ナレーション)

 

信濃は雪が舞っていた

一族郎党が見守る中、昌幸と信繁は上田城をあとにした

行ってらっしゃいませ!

あとはお任せを!

 

 

 

徳川家康は上田領を信之に与え

真田伊豆守信之は9万5千石の大名となる(ナレーション)

上田城主となった信之は家臣に告げる

 

内府殿より父上と縁を切れとのお達しがあり

父から受け継いだ幸の一文字を捨てることとなった

 

今日よりのわしの名前じゃ

 

さなだ いずのかみ のぶゆき

「真田伊豆守信之」半紙に書いた名前を見せる信之

 

読みは変わらん、わしの意地じゃ

 

高野山に行く途中で親子は

大坂城に立ち寄って家康に会った(ナレーション)

 福島正則に出迎えられる信繁

 

わしはお前達を打ち首にすることもできた

それをせなんだはなぜだと思う?

 

本多忠勝が助命したからだろうと答える昌幸

 

果たしてそうかな

 

はて?

 

賢い次男坊が答えてみよ

 

内府様はひょっとして父に死ぬより辛い

苦しみを与えるためではと信繁は答えた

 

ダーハッハッハw

さすがだのう

ハッハッハハw

 (信繁の答えに満足そうな家康)

 

 

安房

戦には勝ったのに、なぜこのようなことになるのか

さぞ理不尽だと思っているだろう

その理不尽な思いさらに膨らませてやる

わしはお主から一切の兵と馬と武具と金と

そして今後、戦に出る一切の機会を奪う

残りの人生を高野山の麓の小さな村の中で過ごすのだ

1、2年で帰ってこられるなどとゆめゆめ思うでないぞ!

10年になろうが20年になろうが

お主は死ぬまでそこにおるのだ

この生き地獄

たっぷりと味わうがよい

真田安房

2度と会うことはなかろう

 

勝ち誇る家康は満足気であった

ワッハハハハハ

 

 

 片桐且元に関が原後の状況を聞く信繁

家康は関が原は石田治部が勝手に起こした戦と報告

戦勝祝いを受ける

 戦勝の挨拶をした

 

全ての責めを石田様が背負ったのですね

おかげで多くのものが何とか命は助けられた

宇喜多様はいまだに行き方しれずだが

 

北政所に最後の別れを言う信繁

九度山

弘法大師様の母御がおられたところだね

これからは親孝行しやあよ

身内こそ大事にするもの

わたくしは気がついたら

みんな、いなくなってしまった・・

 

秀頼公がおられるではないですか

 

 

ああ、やだ、この子を忘れとった

 

 

そこには金吾中納言が、いたが何かに怯えている

あの子は帰ってきてから誰にも会わんと

ああやってずーっと怯えとるんだわ

 

 

且元は信繁に正直に話した

金吾様の裏切りがなければ石田治部は勝っておりました

 

そうなのですか?

 

密かに徳川と通じておられた

 

悪い子ではないんだけどねえ

(寧の言葉に自分の耳を疑う信繁)

 

 

廊下を歩いている秀秋の前に

 

毛利勝永

宇喜多秀家 お命頂戴!

明石全登 うぬだけは許せぬ!!

せん妄状態で、自分に切りかかってくる幻を見る秀秋

(庭に逃げ込み正気に戻る秀秋)

 

小早川秀秋関ヶ原の合戦の2年後

自分のしたことに罪の重さに苛まれ21歳で謎の死を遂げる

(ナレーション)

 

 

 真田左衛門佐が参っております

お望みならこちらに通しますが?

 

この先はどうなるのですか?

 

父親ともども高野山に幽閉されます

 

それには及ばぬ

 

お会いにならぬのですか?

 

淀の方は信繁と会わなかったが

 

あのものとは、またいずれ会う気がします

いずれ、また

 

押し花のやまぶきを見て微笑む淀の方

 (不運を一身に背負っている女だよな)

 

大阪 真田屋敷

春を向かえに来た信繁

 お会いしとうございました

 

これからは共に暮らせる

刑部様は残念でござった

 

父の最期を聞いておられますか?

 

大谷刑部の最期 回想

ここでよい

山の中で輿を降りる大谷刑部

 

この首くれぐれも敵に渡すな

 

家臣に介錯を頼む形部

 

治部、楽しかったぞ・・・

 

 戦場で露と消えた大谷刑部だった

 

父を亡くした春を労う信繁

刑部殿はまことの武士であった

 わたしもあの方のように生きたいものだ

 

泣き崩れる春

 

昌幸も薫と再会した

苦労をかけたのう

薫は寂しゅうございました

薫はもう人質は御免です

薫はショックで壊れてしまったようだ

 

悪かったのう

 

 

きりに信繁は尋ねた

内記は?

疲れが出たようで寝てしまいました

お前には礼を言わねばならん

これからどうする?

上田に戻ることもできるぞ

 

どうしますかねえ

源次郎様はどうしてほしいのですか?

きりに信繁は一緒に来てほしいと告げる

 

行くとしますか

 

 母上は?

寝てしもうた

 

昌幸は信繁に告げる

源次郎、薫は上田に返そうと思う

薫には高野山は無理だ

源三郎に託そう

 

兄上もこちらに向かっているそうです

母上のことはお任せしましょう

上田に帰っていいぞ

 

その晩信繁が文を書いていると

加藤清正が屋敷に訪ねてきた

見張りの大井政吉に席を外すように命じる清正

 

会わせたいものがおる

 

うた様!

石田治部の妻、うたはまだ生きていた

 

佐吉のやつがああなってからあちこち逃げまわって

わしのところにたどり着いた

 

我が殿の知る方々のところをめぐり

あの方のご最期について話すのがわたしの勤め

 

ご覧になられたのですか?

 

見物の衆に紛れて

必ず見届けよとあの方に言われたのでございます

 

 

回想

三成の切腹シーン(無言)

 

それは見事なご最期でございました

 

石田様らしい

 

あのお方は天下の大罪人の汚名を着せられ首をはねられました

 

さあ、参りますぞ

(清正は連れて帰ろうとした)

 

あのお方は豊臣家のことしか考えておりませんでした!

 

よく存じております

 

あのお方は豊臣家のことしか考えておりませんでした!

あのお方は豊臣家のことしか考えておりませんでした!

 

うたは連れて行かれた

 

 

旦那様、源次郎!

旦那様、源次郎!

 

屋敷はもぬけの殻だった

薫は置いて行かれた

 

母上!

信之は母を連れて信濃に戻る

 

紀伊 九度山

(雪が舞っているが上田以上のど田舎なんだろうか?)

 

高野山に流されて明けて慶長6年の始め

昌幸たちは九度山村の屋敷に入った

信繁たちの新しい暮らしが始まろうとしている

(ナレーション)

 

 早速目付きの悪い村長たちが現れたな

 

今週はこの辺でさようなら

まとめ

読んでもらっても ストーリーが分かるか心配なくらい、途中のシーンが抜けてるかもしれないw

歴史では、本多忠勝と信之が助命嘆願したから、昌幸と信繁は流罪ですんだというのが一般的な解釈だと思うが、家康が今まであたえられた屈辱を昌幸に与えるためにわざと殺さなかったというのは、分かるような気もする。

1回の放送で、これだけのエピソードをまとめたのは、どうかなと感じた。

来週はもっと詰め込んでるようだがね。

セリフも多かったけど、後日録画を見て書き足したいと思います。

しかし、大井殿って誰なんだろうな?

 

 「おおい」と読んだら自分のことだと、それでどこかでお会いしましたか?って、というオチだったのね。

細かいな。

 

画面の字幕を見ていても、名前とか漢字の一発変換ができないので、仕方なく下を見ていると物語が進んでいるという有様ですよ。

 

しっかしホント、セリフ多かったな今回。

来週はどうかな~父上死んじゃうしね。まあ、楽しみですね。

 

 

第38回「昌幸(まさゆき)」に続く

 

 

 

 

 

参考記事

headlines.yahoo.co.jp

 

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では、また来週。

 

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All's Well That Ends Well by @nakasada