@なかさだの「終わり良ければすべて良し」 All's Well That Ends Well by @nakasada

日常の生活や気になるニュース、趣味のゴルフ、カメラの日記、つぶやきです。サブログhttp://nakasadaxnobel.hatenablog.com/

NHK大河ドラマ 『真田丸』 第40回 「幸村(ゆきむら)」感想-今週の真田丸 (10/9放送 ネタバレあり)

 

どうも、なかさだです。

 

NHK大河ドラマ真田丸』第40回

「幸村(ゆきむら)」感想

-今週の真田丸 

 

ご当地大河ドラマだから見るだけでは、つまらんので記事にしています。

*毎週日曜日6時のBSの放映後に更新するので閲覧注意です。

 

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 今週はNHKのサイトに『幸村伝説誕生』とか書いてありましたね。

 大げさだな。劇的に別の人になるとも思えないしね。

早丸の記事が見当たらなかったけど、何でだろ?

 

 

www.oricon.co.jp

 

関が原以後の1600年から1614年までを、わずか3回で流したのは、このためだったとしか思えない。

といっても大阪の陣でも、今までと同じで合戦シーンが、かなりカットされてるような気もするので、あと10回放送でどんな感じなのか興味はありますね。

 もちろん物語に期待はしていないです。

結末が分かっている有名な物語を、どのように改変するのかには興味はありますが。

 

zasshi.news.yahoo.co.jp

 

これからの10回は、今までの40回とぜんぜん違うと堺雅人は言ってるが、大坂城が燃えあがるシーンとかも無さそうだよね。

なぜなら幸村は、その前に死んでるし。

NHKは腐るほど制作費があるのに、CGと小道具とかセットは豪華で、合戦シーンはあえて入れないというのは斬新というか、予告で期待させといて、そりゃねーよ!三谷!!って視聴者がテレビに向かってボヤくという新しい大河ドラマの楽しみ方をお茶の間に提供しているわけです。

そんなわけないかw

内容は5分で分る簡単なものと自分らでまとめてるしね。

というか、これまで劇中ふざけてたのが、中途半端になってくると面白くないので、既定路線で行かないかなと思ってますけどね。

 

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地元情報です。

ueda-sanadamaru.com

来週くらいから紅葉になるのかなという微妙な天気ですね。

スキー場があるようなところは、終わってるところもあるみたいです。

上田城はまだかもな。

 

f:id:nakasadax:20161009172541j:plain

去年の写真を見ると、やっぱり上田城の紅葉は11月からですね。(これは去年の11月2日です)

観光だと各地でやっている新蕎麦祭りなんかいいかもしれないですよね。

 

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 丸子地区の信州国際音楽村では、来週末にバラ祭りがあるそうです。

上田市ですが 駅から遠いですねww

 

 

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真田丸 後編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)

真田丸 後編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)

 

 

 

 

NHKの公式ホームページです。

www.nhk.or.jp

 

 

 

真田丸 - 2NN 2ちゃんねるニュース速報+ナビ - 2ch News Navigator

今まで見ていなかった人もここでチェックすれば、丸わかりです。

 

 

 

まずは先週のおさらいから


5分で分かる真田丸~第39回「歳月」~

 

 

 

 

 

第38回「歳月(さいげつ)」のあらすじ

mantan-web.jp

 9月25日放送の第38回「昌幸」は、九度山に流罪となった信繁の父・昌幸(草刈正雄さん)の最期が描かれた。

 第39回は、九度山で暮らす信繁に運命を変える使者が訪れる……という展開。昌幸が死去し、信繁の兄・信之(大泉洋さん)が九度山を訪れる。父に惨めな思いをさせないよう生活に無理をしてきた信繁は兄に支援を求めるが、徳川に監視される信之にはそれができない。一方、かつて信繁がルソン(フィリピン)に逃がした秀次(新納慎也さん)の娘・たか(岸井ゆきのさん)が、海外の珍しい紐を持って訪ねてくる。信繁はその紐を見てあることを思いつく。信繁はきり(長澤まさみさん)と協力して真田紐(さなだひも)を考案し、商売を始めるが、春は信繁に頼られるきりに嫉妬してしまう。

 信繁が九度山で貧しいながらも穏やかな日々に幸せを見いだし始める。そんな中、大坂から使者が訪れ、信繁の運命が大きく変わることになる。また、信繁の嫡男・大助(浦上晟周さん)、娘・梅(大出菜々子さん)も登場する。

 「真田丸」はNHK総合で毎週日曜午後8時ほかで放送。

 

上記記事の引用

 

 

 

 

 

 

*ネタバレというか今回のあらすじです

今週の真田丸:第40回「幸村」 “真田幸村”誕生! - MANTANWEB(まんたんウェブ)

 

 第40回は、豊臣と徳川の対戦が迫り、豊臣方の将として誘いを受けた信繁が、大きな決断を迫られる。九度山の生活を楽しんでいた信繁の元に、宇喜多秀家高橋和也さん)の家臣だった明石全登小林顕作さん)が訪ねてきて、大坂城徳川家康内野聖陽さん)を相手に戦ってもらいたいと懇願する。豊臣秀頼中川大志さん)と茶々(竹内結子さん)が苦境に立たされていることを知った信繁に、大きな決断を迫られ、息子の大助(浦上晟周さん)を呼び、「くじを引け」と迫る。

 また、今井朋彦さん演じる豊臣秀頼の側近・大野治長、植本潤さん演じる南禅寺の僧・清韓が登場。豊臣と徳川の間で問題が生じ、板ばさみとなる片桐且元小林隆さん)の苦悩も描かれる。

 NHK大河ドラマ真田丸」はNHK総合で毎週日曜午後8時ほかで放送。

 

上記記事の引用

 

 

 

 

 

www.nhk.or.jp

 

www.nhk.or.jp

 

 

 

 

 

参考に

大坂の陣 - Wikipedia

大坂の陣(おおさかのじん)は、慶長19年(1614年)の大坂冬の陣(おおさかふゆのじん)と、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣(おおさかなつのじん)の総称。江戸幕府豊臣宗家(羽柴家)を滅ぼした戦いである。大坂の役(おおさかのえき)とも称する。

 

端緒[編集]

慶長8年2月12日1603年3月24日)、家康は豊臣秀吉死後の豊臣政権においては五大老徳川家康が影響力を強め、慶長5年(1600年)に元五奉行石田三成らが蜂起した関ヶ原の戦いで家康は東軍を指揮して三成ら西軍を撃破する。徳川家康は戦後処理や論功行賞を主導するなど実権を握った。この際、豊臣家の蔵入地(直轄地)を処分、豊臣家の所領は摂津河内和泉の約65万程度まで削がれた[注釈 1]

伏見城征夷大将軍に就任、江戸幕府を開き、江戸城を始め普請事業を行うなど政権作りを始める。家康の政治目標は徳川家を頂点とした長期的かつ安定した政権をつくることであったとされ、徳川家の主君筋に当たり幕府ヒエラルキー社会では別格的存在となる豊臣家に対し、服属させるか、それが拒絶された場合には処分する事を考え始めたという。

同年7月徳川秀忠の娘である千姫が秀吉の遺言に基づき子の豊臣秀頼に輿入した。

慶長10年(1605年正月に家康が、つづいて2月に秀忠が伊達政宗奥羽大名を加え10万とも16万ともいわれる大軍を率いて上洛した。同年4月16日、家康は将軍職を辞して将軍職を秀忠に譲り、自らの官位であった右大臣位を秀頼に譲る。将軍就任時の秀忠の官位が内大臣であったのに対し、秀頼はこうして右大臣になったが、秀忠の将軍職継承は天下にはもはや豊臣家ではなく徳川家が君臨することを示すものである。先の家康の将軍任官時の序列はまだ秀頼が上であって、同時に秀頼が関白に任官されるとする風聞が違和感なく受け止められており[1]元服を前に秀吉の子として関白就任への可能性を残していたが[注釈 2]、既に家康、そして徳川政権が時を追うごとに優位になっていくことを止めることはできなかった。[2]

5月8日、秀頼に対して臣下の礼を取るように高台院を通じて秀頼生母の淀殿に要求するなど友好的対話を求めた。この時、淀殿は会見を拒否し両者の関係は悪化するが家康は松平忠輝を大坂に遣わし融和に努めている[2]

慶長16年(1611年3月後陽成天皇の譲位を受けての後水尾天皇即位に際して上洛した家康は二条城での秀頼との会見を要請する。秀頼の上洛を求める家康に対し反対もあったが、加藤清正浅野幸長ら豊臣家恩顧の大名らの取り成しもあり会見は実現する(二条城会見[注釈 3][2]。翌4月、家康は在京の大名22名を二条城に招集させて幕府の命令に背かないという誓詞を提出させた。翌慶長17年(1612年)には前年上洛していなかった東北関東などの大名65名から同様の誓詞をとっている。ただし、秀頼からは誓詞を提出させていない[注釈 4]

二条城の会談により両者の緊張は緩和したものと思われた。しかし、慶長12年(1607年)に結城秀康、慶長16年(1611年)に浅野長政堀尾吉晴加藤清正が、慶長18年(1613年)に池田輝政・浅野幸長、慶長19年(1614年)に前田利長が亡くなると、豊臣家の孤立はいっそう強まり、その焦りからか幕府に無断で朝廷から官位を賜ったり[注釈 5]兵糧浪人を集めだし、更には前田家と誼を通じようとするなど、幕府との対決姿勢を前面に押し出し始めた。

豊臣家に対し融和策をとる徳川家も戦の準備は怠らず、攻城兵器として国友鍛冶に大鉄砲大筒の製作を命じ、他にも石火矢鋳造イギリスオランダに対し大砲焔硝(砲弾の材料)の注文を行っている。海外、キリスト教陣営との接触は両軍共に存在し、大坂城にはポルロ神父など多数のキリシタン、神父が篭城することとなる。[注釈 6]

こうしたなかで発生した方広寺鐘銘事件により、両家の対立は決定的となる(方広寺鐘銘事件の詳細は後述)。慶長19年(1614年8月、豊臣家は鐘銘問題の弁明のために片桐且元駿府へ派遣するが、家康は且元と面会していない。しばらくして大野治長の母の大蔵卿局駿府へ派遣されたが、家康は大蔵卿局とは面会して丁重に迎えている。9月6日、家康は豊臣方の徳川家に対しての不信が問題の要因であるとし、以心崇伝本多正純使者として、大蔵卿局と且元とを同席させた上で、双方の親和を示す方策を講じ江戸に赴いて申し開きするよう要求したという。同日、家康は今度は西国の大名50名から誓詞をとっている。

且元は大坂へ戻り、9月18日、私案として以下の3つの妥協案の一つを採用するように進言した。

  • 秀頼を江戸に参勤させる
  • 淀殿人質として江戸に置く
  • 秀頼が国替えに応じ大坂城を退去する

この案に淀殿は怒り且元は次第に裏切り者として扱われるようになった。秀頼や木村重成からの調停があったものの、28日に高野山に入るとして大坂城を出ることを決めたが、これは秀頼側ら穏健派の態度をも硬化させ、「不忠者である」として改易が決められる。10月1日に片桐且元は蔵の米や金などの勘定の引き継ぎを済ませ、300程の雑兵を率き連れ、貞隆、石川貞政らと共に大坂城を退去した。

且元は慶長18年に秀頼から一万石を加増された際に徳川家を憚りこれを辞退したが、家康の命により拝領している。このように且元は豊臣家の家臣でありながら家康の家臣でもあることとなり[4]、豊臣家が且元を処分しようとしたことは家康に口実を与えることになった。家康はこの件を根拠にして諸大名に出兵を命じ、大坂の陣が勃発している。[4]

 

ウィキペディアより引用

 

 

第40回「幸村(ゆきむら)」

 

 毎週、日曜日の午後6時放送のNHK BSプレミアムを見ながら書いているので、シーンもセリフも漏れまくりです。

 (後日、録画を見て加筆校正して更新しています。)

 

九度山での厳しい暮らしは続く

そんな折り、彼の前に現れた男は・・

 

(先週の続きから始まった)

真田左衛門佐信繁さまでございますな?

 

おぬしは・・

 

宇喜多秀家家臣

明石掃部頭全登

 

左衛門佐様をお迎えに参りました

 

(屋敷では家族が宴会中)

 

(信繁は屋敷を離れ移動した)

どういう事だ?

 

わたしとともに大阪に来て下さい

 

何ゆえ?

 

間も無く戦が始まります

豊臣方の将として一軍の采配をお取り

いただきたいのでござる

 

敵は?

 

徳川家康

 

お断りする

 

何ゆえ?

 

(断る信繁だが)

わたしは囚われの身でござる

では

(屋敷に戻ろうとする信繁だが

明石全登は引かない)

会うていただきたい方がおります

 

 

 

上野 沼田城

文で江戸に呼び出される信之

大阪が随分きな臭くなってきた

 

秀忠公は何と?

戦ですか・・

 

そうでないことを祈りたい

(手にしていた文を落とす信之)

手が滑った

すぐに出立の支度じゃ

 

右手を見つめる信之

(嫌な予感がする)

 

 

(寺か何処かに連れてこられた信繁)

左衛門佐殿、お待ちしていましたぞ

(なんとなぜか片桐且元が待っていた)

 

片桐様!

(驚く信繁)

豊臣と徳川の仲はそれほど悪くなっているのですか?

 

もはや戦は避けられぬ

 

豊臣家はお立場こそ弱くなったものの

今も徳川と並ぶ力を持っていると思うておりましたが

 

何もご存じないようです

 

ここにおりますと世の中の動きが

全く入ってきませぬ

 

 

 

その前に

わたしはここを離れるつもりはありません

 

(話だけでも聞いてくれと懇願する且元)

 せっかく来たのだ、話だけでも聞いてくれるとありがたいな

 

関ヶ原で石田治部と大谷刑部がああいうことになり

その後も加藤肥後守と豊臣家の重臣が次々と世を去って

気づいたら秀頼公のおそばに仕えるのは

わしだけになってしまった

 

(回想シーン)

且元、また大きゅうなったなあ

(石田治部から貰った桃の木の成長を喜ぶ秀頼)

 

 

 

ことの発端は方広寺大仏開眼供養

(ここから先は方広寺事件の説明の回想が続く)

太閤殿下が進められていた大仏殿の造営は

文禄の大地震でいったん頓挫したが

秀頼公のお声掛かりで5年前から普請が始まった

 

太閤殿下の17回忌に合わせて大仏殿を作り

開眼供養を執り行なおうというのが秀頼の悲願であった

 

 

よく家康公が了承されましたね?

(且元に質問する信繁)

 

そもそも秀頼公に大仏殿を立て直すように

勧めたのは大御所様じゃ

 

(回想シーン)

死者の供養こそが生き残ったものの務めでござる

方広寺はもとより京大坂の寺社の修復は大いにおやりなされ

(家康は且元に寺社の再建を許した)

 

読めました、家康公の目論見は大坂城に蓄えてある金銀を

秀頼公に使わせようというのでは?

(信繁は且元に尋ねた)

今から思えばそうなのだ

 

そんな折り

(回想シーン)

鐘に入れる文面については

南禅寺の清韓という僧侶に頼んだ

 

お見事でござる

 秀頼公のお許しはすぐに頂いた

 

ところが大御所様が難ありと

 

格調がないと言われてしもうた

 もっと文才のある僧に書かせたほうがいいと

清韓は南禅寺の長老で漢詩、漢文にも通じたお方だ

つまりは難癖をつけられたのだ・・

 

(回想シーン)

無礼にも程がある!!

 

申し訳ないが、どうか、もうひとひねり!

このご時世、大御所様のお顔を立てなければ

何事もうまくことは運びませぬ、何卒!

 

(清韓は激怒したが書き直したらしい)

 後日、大坂城に代わりの文面を書いてもってきた清韓

お見事でござる!

 

前のも悪いとは思わぬがこれは快心の作

 

ご苦労をおかけ申した

 

お気づきになられましたかな?

 

なんでござろう?

 

 

これにはいささか趣向がございましてな

「国家安康」の文字がござろう

国が安らかに栄えるという意味だが

よくよくご覧あれ

ここに家康の二文字が隠されている

 

洒落ておりますな

(感心する且元)

 

さらにこちらの「君臣豊楽」

意味は皆が豊かに楽しく過ごすだが

見方を変えれば豊臣を君として楽しむとも読めなくもない

 

お考えになりましたな

 

必ずや家康公も秀頼公もお喜びくださるはず

ハハハハハッ

(笑い合う2人)

 

 大御所様の了解も得て

早速その文字を鐘に刻むよう申し付け

2月後には高さ1丈七寸の立派な鐘が出来上がった

(家康はこれを許した)

 いよいよ大仏開眼供養が目の前に迫った

その時・・

 

(回想シーン)

どういう事だ?

(秀頼に説明する且元)

 

大御所様が申されることには

ひとまず開眼供養は日延べするようにと

 

いまさら止めるわけにはいかぬ

何が気に入らぬのだ

 

鐘に刻んだ文言の中に自分に対する呪詛が隠されていると

 

呪詛?

(家康は

鐘に自分に対する呪詛が隠されていると

言い出した)

 我が諱を2つに割るなど縁起でもないと

 

しかし、それは趣向ではなかったのか?

 

大野修理大夫治長(大蔵卿の息子)

は家康を批判

そもそもおかしいではないか

見本があるのだから

文句があるならそのときに申すべきだ

鐘が出来上がってからというは言いがかりである

 

理屈が通じる相手ではないのだ!

 

鐘を作り直せと家康はそう言うておるのだな?

しかし、供養は来月じゃ

 

何とか大御所様を説き伏せることはできぬのか?

片桐殿

 

(困り果てた且元は清韓を訪ねる)

洒落の分からぬ男でござるな!

 

 古来、唐土(もろこし)では人の名を

二つに割って記すのは呪いの意味もあるとか

 

まっ、まあ、そうとも言うが・・

 

知っておったのですか!!

 

しかし、それは、あくまであちらの話じゃ

ハッハハハハハ(居直る清韓)

 

もう一度書き直すわけには?

 

あり得ぬ!!

 

(しかし書き直しは断られた)

 進退窮まったわしは御上様にご相談することにした

 

 

御上様?

(信繁は且元に尋ねた)

お茶々様にござるよ

 

ご息災であらせられますか?

 

今や大坂城の要、堂々たるものだ

 

(且元は仕方なくお茶々に相談することにした)

大仏開眼供養は秀頼殿の悲願

母としてはなんとしても実現させてやりたいのです

駿府に行って家康殿に会うてきておくれ

直に話せばきっと分かってくれよう

 

大御所様一人説き伏せられなくていかが致します?

(親子で且元に責めかかる大蔵卿局

 

駿河 駿府城

且元は本多正純にも因縁つけられてる

断じて許せぬ!

 

そもそも祝いのつもりで

 

何が祝いじゃ、これは呪いじゃ!

 

しからば君臣豊楽の豊臣の二文字はどうお考えになるのです?

我らは豊臣にも呪いをかけたことになりまする

 

豊臣の名は上下が逆になっておる

これは呪詛返しであろう

逆さにすることで呪いを祝いに代えたのじゃ

どうだ違うか!!

呪詛返しとは、このことじゃ!

 

そもそもなぜ鐘ができてから言われるのじゃ!

 

信じておったからではないか

一度目の草案を見せられ大御所様は思うところを述べられた

あとはそなたらを信じ、任せたのだ

大御所様のご信用を裏切りおって

これは豊臣家が仕掛けた徳川に対する重大な侮辱じゃ

絶対に許すわけにはいかん!

 

 (且元を残し出ていってしまう正純)

 

 大御所様にお目通りを!!

(胃が痛いのを我慢する且元)

なんとか大御所様にお目通りして誤解を解こうと思ったが

一月粘ってもお目通りはかなわなかった

ところが駿府からの帰り道

駿府で1ヶ月待ったが家康に会えなかった且元)

 

近江 土山

では、あなたも駿府におられたのか?

 

そちらの帰りが遅いので御上様と相談して

わたくしが大御所様と直に会うことになったのです

 

勝手なことをされては困りますな!

大蔵卿局が家康と会うことになった)

 

あなたが頼りないからでしょう!!

とうとう、わたくしが出ていく羽目になりました!

 

(家康、老人になってるし)

大御所様に会えたのか?

 

まさかお会いしておらぬのですか?

一月も駿府で何をしていたのですか!

大御所様は仰せでした

 全ては無学の片桐且元が田舎坊主の言いなりに

なってしでかしたこと

いちいち騒ぎ立てることでは無しと

 

話が違う

わしは本多正純殿からことを

収めるための3か条を預かっておる

 

聞いておりませぬ

 

 

(且元はことを収めるには)

秀頼は大坂城を立ち去る

秀頼は江戸に参勤すること

淀の方は人質となること

 

かなわぬ場合は徳川に対する異心ありとして

豊臣を討ち滅ぼすと

 

大御所様がそのようなことを申すわけがない!

 

本田殿は大御所様のご意向とはっきり申された!

 

(と大蔵卿局に伝えたのだが・・)

 

 

 (回想シーンから本編に戻った)

実のところは本田殿はそこまでは言わなかった

 

どういうことです?

逆心のないことを形で示せとだけ

 

三ヶ条は?

 

帰る道すがらわしが考えた

 

なぜ、嘘を?

 

 大蔵卿局があんまり憎らしゅうて・・・

 ところがその嘘のためにさらにとんでもないことに

 

(回想シーン)

大蔵卿局本多正純に確かめたため

あっさり嘘がバレる且元)

 

大阪城ではモメていた)

これは如何なることか片桐殿?

念のため本多殿に確かめたところ

三ヶ条のこと、全く寝耳に水というだそうな

話が違うではないか!!

 

片桐、何ゆえこういうことになったのか?

(且元に尋ねる秀頼)

 

このままでは戦にもなりかねない

いかにすれば大御所様の怒りが解けるか

自分なりに考えたのが先の三ヶ条でございます

 

あなたが考えたのですか?

 

秀頼殿の国替え

わたくしを人質として関東に送ること

秀頼殿を諸大名と同じく参勤させること

できる訳がないではないか!

 

 

大御所様は何も心配することはないと

はっきり仰せられたのじゃ

 

そこが解せぬのです!

ひょっとしたら何かの策では無いか

 

 

策を弄したのは貴殿ではないのか片桐殿?

(徳川に内応したのではと大野治長に疑いをかけられる且元)

 

何を申される?

 

徳川からの命と偽り三ヶ条は我が殿に飲ませ奉り

それを手土産に徳川に召し抱えられる手はずだったのではないか

 

そのようなことをわしがするとお思いか!

 

だいたい駿府に一月もいたのが疑わしい

その間に本多正純に言い含められたのでは?

 

馬鹿を申すな!!

 

まあ、まあ、私は且元をよう知っておる

この者はそのようなことをする男ではございませんよ

且元にはそのような策を立てる度胸も知恵もない

悪く聞こえたらすまぬ

良いではないか大蔵卿の言うことに間違いがなければ

(淀の方は機嫌を損ねるが且元を許した)

 

しかしながら鐘は作り直さねばならぬでしょう

大仏の開眼は日延べするしかありません

 

それしかなさそうだな

 

この不始末の責めは負うていただきますぞ

片桐殿

 

(責任を取らされる且元)

事は収まるかに見えた

 ところが・・

わしを裏切り者と見なした大野治長たちが

暗殺を企んでいるとわかった

(且元は暗殺されそうになって大坂城を去った)

 

秀頼公のもとを去るのは辛い

天守閣に向かって頭を下げる且元)

わしがいることで豊臣家の足並みが揃わぬのなら

答えは一つ

(石田治部から送られた苗木の桃が実ったその日)

 わしは大坂城を去った

 

(ところが更に悪いことになった)

ところがわしのその動きが

さらにことを悪い方へと転がしてしまった!

 

さらにですか?

(且元に尋ねる信繁)

わしは秀頼公から大阪を追われる形になった

取次役のわしが追放され徳川はそれを手切れと見なしたのじゃ!

 

(徳川との取次ぎ役の片桐がいなくなったことで

徳川は豊臣家が手切れをしたと解釈したのだった)

 

致し方あるまい

大阪攻めじゃ

(茶をすする家康)

あ~~~

(家康の思い通りだな)

 

徳川が攻めてくる

(ことの始まりに驚く秀頼)

 

 

(ここまで物語開始から23分経過、長い)

 

 

わしは一人で戦の火種を作ってしまった

(後悔する且元)

 

 

ひょっとすると家康は最初から

それを狙っていたのかもしれませんな

 

秀頼公は太閤殿下恩顧の大名たちに書状を送り

 味方につくように呼びかけている

大坂城には徳川との一戦に臨む牢人が続々と集まってきている!

明石殿もその一人

 

大坂城には牢人が続々と集まっていた)

 関が原の一戦後、宇喜多様が捕らえられ八丈島に流されてからは

この十数年、諸国を放浪しておりました

 

左衛門佐、わしはもう大阪に戻ることはできぬ

お主の太閤殿下への忠義の心は誰よりも深い!

秀頼公のために一肌脱いではもらえないか

大坂城に入って兵を預かり徳川勢を迎え討ってくれ!!

 

 

(秀頼のためにと且元と明石全登

大坂城入城を懇願される信繁)

 片桐様

残念ながらはじめに申し上げたとおりです

 お力にはなれませぬ

 

何故じゃ!

 

訳は3つ

まずは、わたしは大軍を率いて戦ったことはありませぬ

それにわたしは囚われの身

そして

わたしは戦がそれほど好きではないのです

 

曲げて頼む!!

 

今宵は久々にお会い出来て嬉しゅうございました 

真田左衛門佐は死んだものとしてお考え下さい

 御免

 

 左衛門佐~!!

 

(ひとり家に戻る信繁)

宴会は終わったが、きりが起きていた

 

 

まだ起きていたのか?

 

誰と会っていたの?

宇喜多様の家臣の方に似ていたけど

明石様だっけ?

 

間もなく戦が始まる

徳川が大阪城に攻めかかる大戦だ

豊臣に加勢してほしいと頼まれた

 

 

いつかこんな日が来るような気がしていた

行くの?

 

断った

行きたいと思った

だが今のわたしにはもっと大事なものがある

 

 

お行きなさいよ

 

驚いたな

止めるのかと思った

 

どうして?

 

向こうには淀の方様がいる

前に言っていたな

あの方は人を不幸にすると

 

 でも、あなたは行きたいと思っている

だったら行くしかないでしょう

あなたに来てほしいと思っている人

助けを求める人がいるのでしょう?

だったら・・

 

わたしに何ができるというのだ?

 

 そんなのやってみないと分からない

 

大軍を率いて敵と戦ったことなどない

 

 

真田安房守昌幸

徳川と2度戦って2度勝った男

あなたにもその血が流れている

 

誰もわたしにはついてこない

 

真田源次郎は安房守の息子

戦上手に決まっている

この人に従っていれば間違いない

誰も疑わないわ

ほとんど戦に出たことがないと

 

あとは、はったりよ

ここで一生終えたいの

それでいいの?

 あなたはなんのために生まれてきたの?

 

わたしは幸せなのだ

ここでの暮らしが

 

 あなたの幸せなんて聞いてない

そんなの関わりない

大事なのは誰かがあなたを求めているということ

今まで何してきたの?

 

小県にいるころは父親に振り回されて

大阪に来てからは太閤殿下に振り回され

 

皆に振り回されていたわけではない

自分なりに色々と考え力を尽くしてきた

 

 

何を残したの?

真田源次郎はこの世に生きたという証を

何か一つでも残してきた?

 

聚楽第の落書きの咎人とうとう見つからなかったよね

沼田を巡って談判もしたけど最後は北条に取られちゃった

氏政様を説き伏せに小田原城に忍び込んだみたいだけど

氏政様がお城を明け渡したのはあなたの力ではないですから

後から会いに行ったナントカ官兵衛様のお手柄ですから

何もしてないじゃない

何の役にも立ってない誰のためにもなってない

(きりに過去の失態を咎められる信繁セリフ多いなw)

 

うるさい!

 

わたしが好きだった源次郎様はどこへ行ったの?

がむしゃらで向こう見ずでやんちゃで賢くて

明るくて度胸があってキラキラしていた

真田家の次男坊ほどこに行ったのよ!

 

わたしが胸を焦がして大坂まで付いて行った

あの時の源次郎様は・・

 

うっとうしいんだよ、お前は!!

 

分かってるわよ、そんなこと!

 

何か良いこと言ったような気になっていたら大間違いだからな!

思い上がるな

お前の言ったことくらいはな

 とっくに自分で問いかけておるわ!!

 

 

もう言わない、二度と

(その場を立ち去ろうとするきり)

 

 きり!!

だが自分で問いかけるよりも

お前の言葉のほうが心にしみた

礼を言う

 

(縁側でひとり物思いに耽る信繁)

(回想シーン)

関白豊臣秀吉である

 

これからはわしとおぬしで新しい世を築いていくのじゃ

 

(秀吉を思い出す信繁)

 

死にとうない

 

秀頼のこと頼む秀頼のこと頼む

 

(ベルの音)

 

(淀の方を思い出す信繁)

おかしな話をします

離れ離れになってもいつか必ず戻ってくる

わたしはあなたと同じ日に死ぬ気がします

 

三成、景勝、秀家、利休、氏政、政宗、昌幸などなど

 

(過去に関わってきた人たちに

言われた言葉を思い出す信繁、長いので省略しました)

 

いずれ必ず徳川と豊臣はぶつかる

その時はここを抜け出し

お前は豊臣につけ

10年考えたわしの策じゃ

昌幸の遺言を思い返す信繁

 

(名セリフばっかりだな今週)

 

人は誰も宿命(さだめ)を持って生まれてくる

遅いも早いもない

己の宿命(さだめ)に気がつくか気が付かぬか

見ておるぞ、婆は

 

(頭のなかでベルが鳴るたびに過去を思い返し、

そうして信繁の長い夜が明けた)

 

大助に手伝いを頼む信繁

 

一字ずつ切り取ってほしいのだ

切り取ったら丸めてその壺の中に入れる

 

(信繁が書いた紙に字を書いたものを

一枚ずつ切って壺に入れる大助)

 

大助来てみろ

里芋がこんなに大きくなった

 

本当ですね

 

あとでことごとく取り入れよ

煮て食べれば美味いぞ

 

全てでございますか?

残しておかなくてよいのですか

先々のために

 

よい

(もういいのだ)

(大助は父の決意を知る)

 

 大助

父は新しい名前を名乗ることにした

その新しい名をこれから決める

ひと文字は決まっている

幸は兄が捨てた父の幸の字、我が真田一族に代々受け継がれる名前だ

さて、あとは残りの一文字だ

お前に決めてもらう

 

わたしに?

 

この壺の中から目をつぶって一枚だけ選んでくれ

どの文字もわたしに関わりの深い文字ばかりだ

 

しかし、そんな大事なことをくじで決めていいのですか?

 

大事なことだからこそ、くじで決めるのだ

父は八百万の神に託したのだ

さあ、大助

 

選んだか?

 

決められません

 

どれでも良い

 

選びました

 

紙を手渡す大助

 

フッ

これも入れてしまったのか

九度山村の「村」

 

やり直しますか?

 

いや、面白い

 

村 幸 

紙を入れかえる信繁

 

真田左衛門佐幸村

(さなださえもんのすけゆきむら)

良い名だ

 

(互いに顔を見合わせ頷く親子)

 

その日真田信繁真田幸村となった

後に日の本一の兵と呼ばれる

戦国最後の名将の誕生である

 (ナレーション)

 

今週はこの辺でさようなら

 

 

 

 

まとめ

 

 今週は回想シーン多すぎだな。

過去の名セリフ、全部出てきたみたいなw

それでも、大阪の陣の原因が、すべて家老の片桐且元のせいというのは、ちょっとなあと感じましたね。

きりと信繁のやり取りもセリフが多くて抜けまくりです。

来週から別人(ゆきむら)になって入城するみたいですね。

また、録画を見て書き直しますが、この記事の倍の長さになりそうですねw

 

見直しましたが、一部長いので省きましたというか、土曜日もう1回見てね。

名セリフが多いからw

 

 それでは、また。

第41回「入城(にゅうじょう)」に続く

 真田丸 最終章(クライマックス)来週から

 

 

 

 

 

 

 

参考記事

headlines.yahoo.co.jp

 

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news.livedoor.com

 

 

 

それでは、また来週。

 

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All's Well That Ends Well by @nakasada