『天皇賞馬・ヤマニンゼファー死す 29歳老衰 前日まで変わった様子なく…』を読んで
どうも、なかさだです。
92&93年の安田記念と93年の天皇賞・秋を制したヤマニンゼファーが16日朝、老衰のため死んだ。29歳だった。現役時代は20戦8勝。うち重賞4勝。92年の安田記念を11番人気で制して以降、一線級で活躍。翌93年の安田記念でG12勝目を挙げると、秋には初の10F挑戦となった天皇賞・秋をセキテイリュウオーとの大接戦の末、ハナ差で制した。種牡馬としては00年武蔵野Sを制したサンフォードシチーを輩出した。
上記記事から引用しています。
今年ミホノブルボンが死んで、懐かしい名前を思い出したが、今度はヤマニンゼファーが亡くなったらしい。
老衰で29歳だったみたいだ。
正直ヤマニンゼファーには、そんなに思い入れはないのだが、わたしが場外で初めて買ったレースの馬券にもいたので、未だに覚えている。
わたしは競馬好きの友人たちに、場外馬券売り場に連れて行かれたのはいいが、知識が全くない状態だったので、名前が格好いい馬を買うことにした。
今考えると全くのビギナーズラックだったのだが、初めてのメインレースで馬券が当たってしまって驚いたのを覚えている。(G2 京王杯スプリングカップ)
勝ったのはダイナマイトダディという馬で、2着はバンブーパッションだった。
このレースで、たまたま3万円ほど勝ってしまったので、競馬なんて楽勝だなと思ったが、その後はやられてばかりだったと思う。
ダイナマイトダディとヤマニンゼファーは同じ世代だったので、たまたま名前を知るようになったのだが、当時はそんなに強いとは思っていなかった。
だけど古馬になってからは短距離のレースで活躍して、天皇賞秋まで勝ってしまって、種牡馬になった。
今は違うと思うのだが、当時の天皇賞秋というのは穴馬が勝つレースとして認知されていて、なぜか東京芝2000mは人気薄の馬が激走するケースが多かった。
ヤマニンゼファーが勝ったときも正直驚いたしね。
しかし、1992年から競馬を見るようになって思うのは、日本の馬産のレベルは本当に上がったということだ。
あれから25年も経つのかとも思えるけど、馬の世代交代は早いので、もう5世代くらい先に行っているんだろうね。
名前が残っている種牡馬を見るとキタサンブラックの母の父が、サクラバクシンオーで当時は強かったかな。(父サクラユタカオーはダイナマイトダディの父でもある)
でもスプリントの1200mのスペシャリストだった馬の孫が、むしろ中長距離のレースで非常に優れた結果を残しているのだから、競馬はよく分からんね。
まあ、調教技術も当時よりだいぶ進化しただろうし、父の父はサンデーサイレンスだからかもしれないけど、血統表を見ると懐かしい名前が出てくるよね。
ヤマニンゼファーは後継種牡馬を残せなかったみたいだけど、血の淘汰は当たり前の競馬の世界だから仕方ないかもしれない。
多分だが、あまりいい繁殖牝馬に付けることも少なかっただろうしね。
でも29歳まで生きたというのは、関係者が大事に扱っていた証拠だろうから大往生だったのだろう。
ご冥福を祈ります。
それでは、また。
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