NHK大河ドラマ『真田丸』-今週の真田丸 第10回 「妙手」(3/13放送の追記みたいな)
どうも、なかさだです。
広告
最近、真田丸の記事が長いので、ちょっと分けようかと思いまして書きました。
というか主観だけで書いていますので、若干というか、かなり歴史的には違うかもしれません。
毎回、地元の紹介というか、あらすじ部分長いわな。
今回はさらに長いけど。
注)来週の展望ではありませんよ。
適当に振り返るだけです。
広告
広告
天正壬午の乱の影響と沼田領問題[編集]
徳川・北条同盟の成立により徳川・上杉・北条三者による合戦は終わったものの、特に信濃では依然として家康に服従を認めない国衆が跋扈し、家康は手を焼いた。有力国衆である諏訪頼忠は12月に和睦して家康に下ったものの、武田旧臣として天正壬午の乱で多大な戦功を挙げた依田信蕃は岩尾城攻めで落命している。
甲斐では河内領は穴山勝千代に安堵され[18]、かつての小山田氏の支配地域であった郡内領に鳥居元忠[19]を配置する。甲斐中央部の国中領は躑躅ヶ崎館を本拠とし、平岩親吉と岡部正綱(天正11年の岡部没後は平岩単独)[20]が派遣されて支配を行っている。なお、近世甲斐における政治的中心地となった甲府城は天正壬午の乱後の天正11年に家康により築城されたとする説があるが、小田原征伐後に豊臣政権が関東移封された家康に対する備えとして築城したとする説がある[21]一方、天正17年には豊臣政権と北条氏の関係が緊迫化し、家康は天正壬午の乱において徳川・北条間で合戦が行われた浄居寺城の大修築を実施している[22]。
一方、徳川と北条の講和によって信濃は徳川、上野は北条の切り取り次第となったが、真田領である上野・沼田の領有・帰属について問題を残した。徳川は、形式上従属した真田に対して沼田を北条へ明け渡すことを求めたが、真田は代替地を要求し、両者の関係は悪化した。両者に縁のある依田信蕃が仲介役となって奔走したが、信蕃が戦死すると両者の溝は決定的なものとなる。しばらくは対上杉への抑えとして真田の重要性が増し、徳川としても強権的な対応を取れないでいたが、やがて真田は対上杉という名目で新築した上田城に本拠を移すと、そのまま上杉に寝返り、徳川と敵対することとなった。
その後、天正13年(1585年)に徳川は上田に攻め入り、また並行して北条が沼田に攻め入ったが真田は守り通した(第一次上田合戦)。その後も小競り合いが続いたがいずれも真田は撃退した。
一方、上方では羽柴秀吉が清洲会議を経て織田家の事実上の後継者となっていたが、柴田勝家との対立が日増しに強くなるなど不安定な状況にあった。対柴田のために秀吉と景勝が誼を通じ、他方で家康は北条との和睦を仲介した縁や領地が接することなどから織田信雄と友好関係を築き、後の小牧・長久手の戦いへと発展した。その後、天下人となった秀吉は北条と真田との間で紛争と化していた沼田領を天正17年(1589年)よる裁定によって落着させた。しかし、この裁定は翌天正18年(1590年)の小田原征伐の遠因となった。
真田の郷ではなく、今回は毎度おなじみの「(# ゚Д゚)ダマレ!!こわっぱ」が大人気の室賀氏の郷に行きました。
ひなびたところですが昔から上田市です。
この先にはささらの湯という温泉施設がありまして、うち風呂じゃなくて温泉に入りたい人も多く訪れます。
室賀峠です。山を抜けると埴科郡です。
雪が残っていて大失敗でした。
アングル悪いな......。
今回の舞台になった虚空蔵山城を室賀峠山頂から見ようと思ったけど、雲で分からないですね。というか見切れてるんじゃないかな.......。
このように室賀峠を抜けると埴科郡の坂城町に抜けられるわけです。
(現在も埴科郡だったかな)
坂城町といえば出浦氏ですかね。お隣さんです。
信濃村上氏の傍系みたいですが、村上氏は御存じの通り武田氏に敗れ上杉氏を頼って越後に落ち延びたと言われています。川中島の合戦のころの話です。
峠を下りると現在も村上という集落に出ます。
主観ですが、出浦氏は真田氏と仲が良かったというよりは、どちらともお隣さんだったので力のあるほうと組んだだけのような気がしてきますね。
真田氏は武田軍の案内役で村上氏を追い出して勢力を広げたわけですね。
ここが現在の上田市と坂城町の境目ですね。ねずみという地名です。
左側にせり出しているのが岩鼻です。
千曲川を挟んだ右手も岩の塊がせり出しているのが分かりますかねえ?
半過って地名ですけど、こっちも道が整備されるまでは難所でした。
近くに道の駅がありますが寂れてますかね。
これは国道18号線ですが、狭いですね。すぐ横は、しなの鉄道の線路が走っています。
虚空蔵山は左側の上のほうににありますが、かなりの山ですね。
気軽に行ける場所ではないです。登山道はありますけどね。
テクノさかき駅からは見やすいと思いますけど、ただの山です。
ここは旧北国街道の宿場町ですが、今でも難所です。関所みたいなもんです。
要はここを封鎖されると進軍できないわけです。
長野市の川中島あたりにいるはずの上杉軍が、そりゃあここまで来たらビビりますよ。
ついでだったので上田バイパス経由で砥石城にも行きました。
真田家の上田城ができる前の本拠地というか最前線ですかねえ。
今は何も無いんですがね。山城です。
砥石城からは上田市街が一望できます。
曇ってて分かりにくいですがww
高い建物がある辺が市街の中心ですかね。
実はここからも坂城へと抜ける登山道がありますが、雪が積もっていたのでやめましたw
昔の砦を再現したらしいんですけど、小さいな。
ここが映画のサマーウォーズの舞台というか最初に出てくる伊勢山地区です。
ぜんぜん関係ないですけど(笑)
右に曲がると上信越道の上田菅平ICですね。市街地にも出られます。
砥石城から道なりに下りるとここに出てきます。
左に曲がると真田氏ゆかりの郷ですかねえ。(旧真田町)
今回は上田城も作ってましたけど、上のが昔の縄張りみたいですね。
今の上田城跡公園はかなり人の手が入っているので、当時の面影はほとんどありませんが、櫓と門だけ残っています。
これも昔に補修工事をやったと思いますけどね。
見づらいですね.....。
松本に行っても感じますが、城下町って要塞みたいですよね。
砥石城は見切れていますw
城内から見た櫓です。
左側が二の丸跡ですが、何もありません。公園です。桜の時期はお花見できます。
正面は大手門です。
右側は神社になっています。
城内から見た大手門です。ここだけ見るとお城っぽく見えますねw
中も見学できますが有料だったかな?
まあ、オープニングで、なめるように下から写して終わるのは天守閣がないからですかねえ。
第一次上田合戦のときは、どういう画になるのか今から楽しみなんですけど。
噂では金の瓦が二の丸御殿の址から出てきたらしいんですけど、当時上田城に天守閣があったのかどうかは資料館で確認してくださいね。
わたしは、まだ行ってないので分かりませんが大河の放送が終わるまでに1回は行こうかなと思っていますよ。
今回の舞台は、またも狭い範囲ですね。
小県郡と埴科郡の境界でのお話です。こうやって見ると上田盆地狭いですよね。
Google マップ こちらで見るとさらに分かりやすいです。
ちなみに江戸の参勤交代の時代でも難所だったみたいですよ。
北陸新幹線みたいなわけには行かなかっただろうし。
国衆とか言ってますけど、山賊といったイメージのほうが分かりやすいと思いますね。
敵に攻められると山城に立てこもり、籠城して危機が去ると平地に出てくるという感じかな。半分農民みたいなもんですからねえ。
室賀氏と出浦氏ばっかり出てくるので、当時の小県郡には真田氏のほかに有力な国衆が2人しかいなかったわけでもなくて、上田盆地の周囲の山があるところには地侍の大将みたいなのがいたみたいですが、長くなるので省きますね。
見ての通り信濃では、冬は戦ができなかった理由が分かるかと思われます。
これでも今年は雪が少なかったのですが山の日陰は融けないんでね。
上田城から別所温泉に行くほど簡単なルートではなかったので、ドライブにはおススメできません。
室賀峠は春夏でも狭くて危ないです。走り屋にはいいかもしれませんが。
土曜日に再放送が総合であるので、見直そうかなあ.....。
(午後1時05分~50分)
ボロが出るのでやめときますねw
広告
それでは日曜日に。(そろそろ見逃しそうですわ)
広告