@なかさだの「終わり良ければすべて良し」 All's Well That Ends Well by @nakasada

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NHK大河ドラマ『真田丸』-今週の真田丸 第11回 「祝言」 (3/20放送 ネタバレあり)

 

どうも、なかさだです。

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NHK大河ドラマ真田丸』-今週の真田丸 

第11回 「祝言」

 

ご当地大河ドラマだから見るだけでは、つまらんので記事にしています。

*毎週日曜日6時のBSの放映後に更新するので閲覧注意です。

 

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真田丸」第10話視聴率は自己最低16・2% BSは自己最高4・7%

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なんと通称早丸と呼ばれているBS放送の視聴率が上昇中だそうで、この記事の意味も正直ないのかなと思われます。

録画して見ている人もいると思うので、昔とは視聴率の数字が違っているのかもしれませんけど、上田城の観光客の増加を見ていると恐るべし大河ドラマと思います。

今日は有名な蕎麦屋の前が午後2時なのに行列になっていたので笑いましたけどね。

 

真田丸大河ドラマ館の入場者「66666人」達成 2カ月足らずで「花燃ゆ」の年間入館者超え!

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混んでますよ。来年どうなるんだろうと不安になるくらいにね。

今週ロトウザクラが咲いたので、来週末くらいには山桜が咲くかもしれません。

枝垂桜は3月末くらいからですかね。

人が多いのでお花見になるのかな?と思ってます。

 

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今まで見ていなかった人もここでチェックすれば、丸わかりです。

 

 

まずは先週のおさらいから

www.youtube.com

5分で分かる真田丸~第10回「妙手」~

 

おっさんたちの顔芸が笑える。

 

 

真田丸』信繁と梅が結婚へ… 父・昌幸の背後に黒い影

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20日放送の第11話「祝言」では、真田が沼田領を手放さないことに手を焼いた家康(内野聖陽)は、真田と並ぶ有力国衆・室賀正武(西村雅彦)を浜松に呼び、昌幸(草刈正雄)を暗殺するよう持ち掛ける。

 一方、上田では信繁の母・薫(高畑淳子)が、梅の身分が低いことを理由に結婚を大反対。きり(長澤まさみ)も大きなショックを受けるが、幼なじみの二人の結婚を必死で受け入れようとする。室賀がたびたび浜松の家康を訪ねていることを察知した昌幸は、信繁の祝言を利用することを思いつくが…。

  NHK大河ドラマ真田丸』第11回はNHK BSプレミアムにて3月20日(日)18時、総合テレビにて20時放送。

上記記事の引用

 

ネタバレしちゃいましたw

 

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 ちょっとだけ、室賀氏と出浦氏についてまとめました。長いです。

 

第10回のあらすじ

 

徳川家康北条氏康の和睦により、家康に臣従することになった真田昌幸は、領地の沼田を北条氏に引き渡すように言い渡される。

昌幸の配下、沼田城主の矢沢頼綱はこれに対し激高し、北条氏と戦闘状態になり籠城する。

お梅が懐妊し、信繁はプロポーズする。

昌幸は対上杉の前線基地として家康に上田城建設を持ちかけて成功する。

信繁は上杉と交渉し、虚空蔵山城を攻める芝居を打ってくれと懇願する。

上杉景勝はこれを快諾し、虚空蔵山城まで兵を進める。

北条氏は北の上杉の脅威を感じ沼田から兵を退いた。

これでいったん沼田は安堵された。

一方、家康は昌幸と敵対する室賀氏を呼びつけ調略を仕掛ける。

 

いつの間にか1583年になってるんだが....

第11回「祝言(しゅうげん)」

 

真田氏は沼田を譲らず北条に迫られ家康がとった策は?

今日は室賀氏のシーンからか

 

家康から上田城を預かるのは真田のみという証文を見せられ動揺する室賀正武

よく、あのような男と今まで一緒にやってこれたのう

 

本多正信に揺さぶられる室賀氏。

 

室賀殿はひとがよい

 昌幸の嫡男、信幸が真田の頭首となったとききたい、できれば室賀殿の口から

殿はお喜びになるじゃろう

 

信伊どこにでも現れるなw

 

信繁は1570年生まれなのでドラマ上では、13歳なんだろうか?

噂によると死ぬまでに13人も子供を授かったそうなので、初めての子供なのかな?

できちゃった婚かあw

 

 信繁はお梅と祝言をあげようと思ったが、身分が違うので正室にはなれない。

そこで策を考えた

また、小細工してやがる

 

知らせに驚く信幸

口吸いってwwwwww

ややこってwwww

そんな顔してやることはやっておるなwww

 

人質が増えて喜ぶ昌幸

 

ばばさま、やさしいな

 

しかし、母には猛反対される。

直談判か

 

そなたは弁が立ちすぎる、なぜ好きな女子と一緒になりたいと素直に言えんのじゃ

 

佐助、何で覗いてるのかと思ったら、油かよw

南蛮渡来の油ってナニ、いい匂いがするからとかありえないわw

ぶちこわしかよ

 

仕方なく昌幸が説得にかかるが陥落せず

祝言は無しじゃ

 

きり登場

高梨氏セリフ久しぶりだな

 

きりのシーンここカットしてもあんまり問題なさそうだな

大根

堀田作兵衛の妹だったということは今までのは全部創作か、なるほど

 

上田城誕生のシーン

 

室賀氏テンション高い

決して真田のための城ではないのだな?

 

信幸に問い詰められる室賀氏は家康には会っていないとシラを切る

 

室賀殿は肌艶がよろしい

ウナギは肌に良いようですなあ

浜松のウナギは美味しいでしょうなあ

 

浜松城を訪ねた室賀氏は本多正信に追い込みをかけられる

正信は昌幸を殺せば室賀氏を立てると約束する

殺し屋を2人用意されて引くに引けなくなる

近藤正臣の狸っぷりも好きだな

 

これを察した昌幸は室賀氏の暗殺を決意

出浦氏はあっさり室賀氏暗殺を進言

寺島進は今回迫力ありすぎ

油断させて信繁の祝言のときに室賀氏を殺そうと画策する

 

室賀氏もこの祝言を利用して昌幸を暗殺しようと考える

 

祝言の準備のシーンもカットでいいかなあ

2回見たらあったほうがいいかと思うかもしれない

お母さん祝言はキャンセルかよ

 

招待された室賀氏

 

正信が用意した刺客は出浦氏が殺した

 

祝言のシーンが続く

 

別室で昌幸と室賀正武で碁を打つシーン

 

わしに勝ったことなど無いではないか

 

信幸は邪魔が入らぬよう見張りにつく

 

きり邪魔だな

 

わしを殺しに来たのか?

 

お主の負けじゃあ

わしの家来になれ、命はゆるす(助けてやる)

お主にはもう逃げ道はない

 

室賀氏

いつも、わしのまえにお主がいた

ただの一度もわしはお主より人として武士として劣っていると思ったことはない

お主の家来にはならぬ

 

胸中の小太刀を碁盤に置く

わしの勝ちじゃ(囲碁には)

 

帰る

 

 

出浦氏と高梨氏は手筈通りだな

寺島進が必殺仕事人みたいで怖い迫力ある

こうして室賀氏は惨殺される

 

すぐに来て!!

きりに祝言の席から呼び出されるお梅と信繁

 

きり  

あなたたち、これでいいの

お梅ちゃんが....

 

このシーンぶちこわしだな

 というか、伏線張ってもイマイチというか

 

 

すべては真田のためじゃ

 

 わたしはどこへ向かうのですか?((´;ω;`)ウッ…まだ元服してないんですけど)

 

悩め、源次郎それでも前に進むしかないのだ、今のわれらは

 

 

まとめ

 今日はアットホームなのかと思ったら黒い結末だったな。

長澤まさみは使い方がヘタだと毎回思うのは、わたしだけだろうか?

けっこう気の毒だなと感じることが多くなってきた。

いつまで出番があるのか知らないけどずっとこうなのか?

 室賀氏が殺されちゃって(# ゚Д゚)ダマレ!!こわっぱが聞けなくなるのが残念。

今日も言うのかと思って見てたのに言わないし。

女優陣はどうにもならないよな。全部創作だからなあ。

慣れてきたのでいいかどうでも。

 

第12回「人質」に続く。

肝心なここを 見逃したわww

 

 今後の展開はどうだろうね?参考に。

第13回「上田合戦」

上田合戦 - Wikipedia

天正10年(1582年)3月、織田信長が行った甲州征伐により武田氏は滅亡。甲斐から信濃、上野に及んだ武田遺領は織田家家臣に分与され、武田旧臣の信濃国人衆らは織田政権に臣従した。同年6月に京都で織田信長横死本能寺の変)し、織田家と友好関係だった北条家が、北条氏直率いる5万6,000の兵で織田領上野に侵攻し、織田政権の関東管領と目される滝川一益率いる2万を神流川の戦いで撃破し、滝川一益は本拠地の伊勢まで敗走する。これに前後して甲斐の河尻秀隆一揆により戦死、北信濃森長可も旧領の美濃に撤退し、南信濃毛利秀頼尾張へと撤退すると、織田領である信濃、甲斐、上野が一気に空白状態となり、越後の上杉景勝や相模の北条氏直三河徳川家康など近隣勢力が侵攻し、旧織田領を巡る天正壬午の乱が起こる。

甲斐を制圧した徳川家康が南信濃へ、上杉氏は北信濃へ、そして北条氏上野国から碓氷峠を越えて東信濃へと侵攻した。このとき東信濃から西上野に勢力を保っていた真田昌幸は北条方に属していたが、徳川方の依田氏の工作により離反する。

10月には徳川・北条の間で和睦が成立するが、その和睦条件として徳川傘下となっていた真田氏の上野沼田領と北条氏が制圧した信濃佐久郡を交換することとした。

天正11年(1583年)から昌幸は上田城の築城に着手しており、沼田領や吾妻領を巡り北条氏と争っていた。

天正13年(1585年)には家康が甲斐へ着陣して昌幸に沼田領の北条氏への引き渡しを求めるが、昌幸は徳川氏から与えられた領地ではないことを理由にして拒否し、さらに敵対関係にあった上杉氏と通じた。同年7月、浜松に帰還した家康は昌幸の造反を知ると八月に真田討伐を起こし、家臣の鳥居元忠大久保忠世平岩親吉ら約7000の兵を真田氏の本拠・上田城に派遣する。

徳川軍は甲斐から諏訪道を北国街道に進み、上田盆地信濃国分寺付近に兵を展開。これに対して真田方は約1200人であったと言われ、昌幸は上田城に、長男の信幸は支城の戸石城に篭城した。また支城の矢沢城には、昌幸の従兄弟矢沢頼康が上杉の援兵と共に篭城した。

閏8月2日に上田城に攻め寄せた徳川方は、二の丸まで進むがここで反撃を受け撃退される。更に後退の際に城方の追撃を受け、戸石城の信幸も横合いから攻めるに及びついに壊乱し、追撃戦には矢沢勢も加わり神川で多数の将兵が溺死した。この真田方の地の利を活かした戦法により、徳川軍は1300人もの戦死者を出したと言われる[1]。一方、真田軍は40人ほどの犠牲ですんだ。

翌日、徳川方は近隣の小豪族で真田氏に味方した丸子氏(後、真田氏に臣従)の篭る丸子城を攻めるが、これも要害と頑強な抵抗に阻まれ攻略できず、以後20日間程対陣を続ける。この間に上杉勢援軍との小競り合いや更なる増援の報に接し、家康は援軍(井伊直政(一部部隊は当初より参陣)、大須賀康高松平康重の5000)を出すと共に一時撤退を下令、これを受け徳川軍は28日に上田より撤退した。その後も、大久保忠世ら諸将は小諸城に留まり真田勢と小競り合いを繰り返すも、11月には譜代の重臣石川数正が豊臣家に出奔する事態に至り、完全に撤退することになる。

合戦の記録は真田家の『真田軍記』ほか、徳川方の『三河物語』にも記されている。この戦いで昌幸は優れた智謀であると評されることとなる。また、この合戦によって徳川家康の真田氏に対する評価は高まり、結果として本多忠勝の娘である小松姫真田信之へ嫁がせて懐柔するきっかけともなった。

真田氏はその後豊臣政権に臣従しており、上田合戦に至るまでの諸勢力との外交や数ヶ郡を支配する勢力拡大は、真田氏が小領主から大名化していく過程であると指摘される。

上田市立博物館には、神川合戦の合戦図が所蔵されている。

なお、この上田合戦に連動して天正13年(1585年)9月から天正14年(1586年)5月まで間、沼田城にも北条氏が数回に渡って攻撃を仕掛けていたが、昌幸の叔父にあたる城代矢沢頼綱(矢沢頼康の父)が撃退に成功している。

またもや長いな。

 

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参考記事

六文銭一色、町全体が真田丸博物館。吉継役の愛之助も登場

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脇役の光るNHK大河ドラマ真田丸」…注目はこの2人!/芸能ショナイ業務話

 

headlines.yahoo.co.jp

 

 

「普通にやりながら、ほんのちょっとのスパイスを加えます」 栗原英雄(真田信尹)【真田丸 インタビュー】

zasshi.news.yahoo.co.jp

 

 

好調NHK大河「真田丸」の現場を盛り上げる大泉洋吉田羊の“夫婦漫才”

headlines.yahoo.co.jp

 

それでは、また来週。

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