反転しない砂時計
どうも、なかさだです。
今日は更新しないつもりだったけど、日課なんで書いてみます。
ここ何日か考えることが多かったので、とりあえずブログは書かなくてもいいかなあと思ってました。
ブログのネタに困ったとかモチベーションが湧かないとか、そういうんじゃないです。
それに自分の問題でもないですし。独り言です。
詳しいことは書きませんが、言葉というのは難しいなと改めて感じました。
自分では無意識に使っていても、相手には刺さる言葉ってあるよなあと思ってね。
自分の意思とか意見を正しく理解してもらうというのは、本当に難しい。
会話は相手とのキャッチボールだとずっと思ってたけど、その時の感情や意見をうまく言葉に出せないことって、わたしにはよくある。
このブログでは、相手がボールを取れないほど乱暴なことをいつも書いているけど、その辺は反省することも多い。基本投げっぱなしだからね。
それでも、わたしは基本的に粗忽な人間だが、開き直っているわけでもないということは言っておきたい。
話を戻すと、会話の中で正直に勇気を出して言ったら曲解されることもあるし、逆に共感されることもある。
話を聞いていて、直接会っていて親しい間柄だったら、肩を抱いてやるとか無言で手を握ってやったほうが、よっぽど伝わるんじゃないかなと想像したりもした。
素直にこころのうちを吐き出してもらったほうが、こちらとしては気が楽というのは変かもしれないが、事情が分かるので話もしやすいのだが。
でも、全部自分の悩みを話せる人なんてこの世には、いないだろうとも思う。
そういう時間はあっという間に過ぎてしまって、そういうわけで言ったんじゃないよとか言い訳したくもなるけど、取り戻せないのがやるせない。
ときに凹んでる相手を励ましても、どうにもならないってことは、よくある話だ。
逆に励ますことで精神的に相手を追い込んでいるんじゃないかと心配になることも多い。
話を聞いてから、こうしたほうがいいんじゃないかという提案もするけど、最終的には相手がどう受け止めて行動するかで真意が伝わったのかどうか怪しいなと思うこともある。
みんな生きていくうえで何かしら抱え込んで生きているから楽じゃないけど、口に出して一時的にでも気が晴れるのなら、今はそうしてほしいと感じた。
なんでも受け入れるなんて普通にムリだから。
つらいときは泣いていいんだよ。感情を抑えることなんてないと言いたかった。
まわりに気を使い過ぎだと言いたかった。
そんなに頑張らなくてもいいんだよって思った。
今だからこそ自分を大事にしなきゃいけない時なんじゃないかなと思った。
話しながら、わたしなんかが言うべきことではないと思っていたけど、もうあの時間は戻せない。
こういう後悔はしたくないけど、話をしたらそうなってしまった。
また話をしたら真意が伝わるだろうかと不安になるけど、話せたらいいなと思う。
ブログに書くような話ではないんですが、自分の気持ちの整理ですかね。
言葉には魂が宿るっていうけど、そこまで伝わるものかと久々に考えさせられました。
それでは、また。