@なかさだの「終わり良ければすべて良し」 All's Well That Ends Well by @nakasada

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NHK大河ドラマ『真田丸』感想-今週の真田丸 第12回 「人質」 (3/27放送 ネタバレあり)

 

 

どうも、なかさだです。

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NHK大河ドラマ真田丸』-今週の真田丸 

第12回 「人質」

 

 

ご当地大河ドラマだから見るだけでは、つまらんので記事にしています。

*毎週日曜日6時のBSの放映後に更新するので閲覧注意です。

 

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 せっかく室賀氏の郷まで行ったのにあっさり亡くなったか....

まあ、いいかw

 

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毎回、放送を見ていた人は楽しみだったと思うなあ。

絶妙の間だったわ。

 

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惜しい人を亡くしましたなあ。

真田丸、 前半の事件No1じゃないですかね。

彼が出ると劇が締まってよかったんですが、主役の堺雅人に今後は期待できるのかな。

 

 

 

真田丸」第11話視聴率は右肩下がり15・6%…BSは好調

headlines.yahoo.co.jp

 この大河ドラマは残念な部分といいシーンの落差がありすぎるなと感じる視聴者が増えているようにも思えるが、まあ、1回目からそういう感じは否めなかったので、今後も残念な感じは、払しょくできないだろう。

というよりも真田信繁(幸村)という人物は、有名ではあるが日本の歴史的には脇役でしかないから、昔の記録もほとんどなく創作シーンでドラマのストーリーを作らざるを得ないのは分かっていたことだ。

散り際が派手だったので、たまたま有名になってしまった真田家の次男坊というのが、基本ですからねえ。

関ヶ原の戦いから長い浪人生活になるのですが、この辺はどういう展開になるのかな?

 まあ、やっとこの辺で実年齢に近づくので堺雅人の演技が見ものです。

 

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真田丸 - 2NN 2ちゃんねるニュース速報+ナビ - 2ch News Navigator

今まで見ていなかった人もここでチェックすれば、丸わかりです。

 

まずは先週のおさらいから


5分で分かる真田丸~第11回「祝言」~

 

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ネタバレです..................

 

『真田丸』家康との対立が決定的に! 上杉を頼りに“人質” 信繁は越後へ…/2016年3月26日 - エンタメ - ニュース - クランクイン!

真田丸』家康との対立が決定的に! 上杉を頼りに“人質” 信繁は越後へ…

 第12話「人質」では、室賀を暗殺し徳川家康内野聖陽)との対立が決定的となった真田。再び上杉を頼ろうとするが、その支援を受けるために信繁を人質として差し出すことになる。結婚したばかりの梅を残して越後に旅立つ信繁。一方の梅は、きり(長澤まさみ)に意外な事実を明かすのだった。

 信繁は越後で上杉景勝遠藤憲一)に温かく迎えられる。養父・謙信ゆずりの名君ぶりを見せる景勝だったが、実は戦続きで疲弊した領国経営に四苦八苦していた。真田が上杉と手を結んだことを知った家康は上田に向け侵攻を開始する…。

  NHK大河ドラマ真田丸』第12話はNHK BSプレミアムにて3月27日(日)18時、総合テレビにて20時放送。

 

 

第11回のあらすじ

 

 お梅の妊娠を知った信繁はプロポーズし、祝言を上げることを約束する。

お梅は身分が違うため側室として娶られることになるが、母の薫に大反対される。

徳川家康は同盟を結んだ北条氏に、真田家の領土である沼田を引き渡すように要求される。

 家康は信濃の小県の国衆、室賀正武を使って真田昌幸の暗殺を試みる。

信伊からの情報で昌幸も室賀氏の動きを察し、祝言の席を利用して暗殺することにした。

祝言に招かれた室賀氏は別室で、昌幸と囲碁を打つ。

昌幸は徳川の刺客を殺害し室賀氏に臣従を迫るが、拒否される。

見張りの信幸と出浦氏と高梨内記は上田城の屋敷内で室賀氏を惨殺、返り討ちにしたことにして正当化した。

信繁は祝言の席から離れず室賀氏暗殺には気がつかなかったが、現場に居合わせた、きりに呼ばれて真相を知る。

こうして信繁はいったん延期の予定だった祝言が行われることになった理由を知るが、

策のために利用されたが 何も感じない自分に葛藤を覚え、苦悩する。

 

こんなところかな。

 今回の見せ場の室賀氏暗殺のシーンは男優陣の演技が非常に緊迫感があって、かなり見応えがあったのだが、きりの登場でぶち壊しになったのは、三谷の作戦か。

普通の大河ドラマ的展開を破壊することで、視聴者の反応を楽しんでいるのか?

今回はお約束の信幸との絡みも案外普通だったしなあ。

今回、 実は1584年の話だったらしい。

 時間の経過が早くなってきたな。

 

第12回「人質(ひとじち)」

 

 今回は普通に見逃すかと思ったけどいいや。

 

真田氏と徳川との長い戦いへの始まりであった

 なんか元服したせいか髪型変わったな

 

きりのシーンから始まったか...

ここカットだな

 

家康は小牧長久手の戦いで秀吉に勝って勢力を拡大

 

戦場から戻った家康は室賀の昌幸暗殺失敗を聞き当てが外れる

またも本多正信が暗躍

 

昌幸は上杉の家臣になることを決意する

上杉へ文を出しこれまでの許しを請う

 

上杉景勝は人質を要求

信繁はあっさり人質に出される

お梅は置いて行かれた

 

ここも全部カットでいいな

想像妊娠とかありえんな

 

 信繁は越後春日山城に着いた

 軍師の直江兼次が渋い

 

上杉景勝に謁見は無事成功

お主に会いたかったのだ

 

信繁は景勝に薫陶を受ける

 

民の心をつかまなくて何が国作りじゃ

死にざまは生きざまを映す鏡

 

 直江兼次から昌幸は沼田城を上杉に返すように要求される

 

 できない約束ばっかりするとかwあんまりだな

 

今の上杉にそんな余裕はない

戦が続き過ぎたのじゃ

これが本当のわしじゃ

 

沼田城を渡さねば上杉は真田とは手を結ばぬ

 

漁師の争いを先延ばしにしていたがこういう展開とは

 鉄火起請のシーン

初めて見たけど、すごい儀式だな

 

 信繁がこの場を収めたとかありえないわ

けっこう人たらしだな信繁

 

お主のような子が欲しかった、安房守は果報者じゃ

 

 お梅が出産

女の子だった

 

 信繁の頑張りで沼田は安堵された

上杉から正式に起請文を授かり、真田は臣従することとなる

 

昌幸の思惑通り事は運び、徳川と縁を切ることになった

早速手切れの文を出す

 

では、わが殿は敵のために城をお造りになられたのですか?

お人がよろしいですな

お潰しになったらいかがですか?

 

1585年真田を征伐すべく徳川の家臣、鳥居本忠の軍勢7000人が上田へと進軍を開始

昌幸は策を練るが2000人余り、手勢が足りない

 上杉の援軍100人余りに信繁は加わり、海津城へと向かった

まとめ

わりと普通な展開だった。

 義の人、上杉景勝というのは完全に後世のイメージですみたいな描き方はどうなんだろう?

いい恰好しいで直江兼次とセットみたいな扱いか。

弱みを見せるくらい、あんなに信繁を気にいっていたのかなあ。

まあ、主役だからな、こういう回があってもいいだろう。

 

来週が前半のクライマックスらしいが、あんまり期待しないほうが良さそうだな。

多分、合戦シーンは製作費のわりにショボいんじゃないかと思われる。

この大河は期待して見ると残念な結果に終わるからなあ。

 

 

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 信繁青春篇 クライマックス

第13回「決戦」に続く。

参考に

上田合戦 - Wikipedia

天正10年(1582年)3月、織田信長が行った甲州征伐により武田氏は滅亡。甲斐から信濃、上野に及んだ武田遺領は織田家家臣に分与され、武田旧臣の信濃国人衆らは織田政権に臣従した。同年6月に京都で織田信長横死本能寺の変)し、織田家と友好関係だった北条家が、北条氏直率いる5万6,000の兵で織田領上野に侵攻し、織田政権の関東管領と目される滝川一益率いる2万を神流川の戦いで撃破し、滝川一益は本拠地の伊勢まで敗走する。これに前後して甲斐の河尻秀隆一揆により戦死、北信濃森長可も旧領の美濃に撤退し、南信濃毛利秀頼尾張へと撤退すると、織田領である信濃、甲斐、上野が一気に空白状態となり、越後の上杉景勝や相模の北条氏直三河徳川家康など近隣勢力が侵攻し、旧織田領を巡る天正壬午の乱が起こる。

甲斐を制圧した徳川家康が南信濃へ、上杉氏は北信濃へ、そして北条氏上野国から碓氷峠を越えて東信濃へと侵攻した。このとき東信濃から西上野に勢力を保っていた真田昌幸は北条方に属していたが、徳川方の依田氏の工作により離反する。

10月には徳川・北条の間で和睦が成立するが、その和睦条件として徳川傘下となっていた真田氏の上野沼田領と北条氏が制圧した信濃佐久郡を交換することとした。

天正11年(1583年)から昌幸は上田城の築城に着手しており、沼田領や吾妻領を巡り北条氏と争っていた。

天正13年(1585年)には家康が甲斐へ着陣して昌幸に沼田領の北条氏への引き渡しを求めるが、昌幸は徳川氏から与えられた領地ではないことを理由にして拒否し、さらに敵対関係にあった上杉氏と通じた。同年7月、浜松に帰還した家康は昌幸の造反を知ると八月に真田討伐を起こし、家臣の鳥居元忠大久保忠世平岩親吉ら約7000の兵を真田氏の本拠・上田城に派遣する。

徳川軍は甲斐から諏訪道を北国街道に進み、上田盆地信濃国分寺付近に兵を展開。これに対して真田方は約1200人であったと言われ、昌幸は上田城に、長男の信幸は支城の戸石城に篭城した。また支城の矢沢城には、昌幸の従兄弟矢沢頼康が上杉の援兵と共に篭城した。

閏8月2日に上田城に攻め寄せた徳川方は、二の丸まで進むがここで反撃を受け撃退される。更に後退の際に城方の追撃を受け、戸石城の信幸も横合いから攻めるに及びついに壊乱し、追撃戦には矢沢勢も加わり神川で多数の将兵が溺死した。この真田方の地の利を活かした戦法により、徳川軍は1300人もの戦死者を出したと言われる[1]。一方、真田軍は40人ほどの犠牲ですんだ。

翌日、徳川方は近隣の小豪族で真田氏に味方した丸子氏(後、真田氏に臣従)の篭る丸子城を攻めるが、これも要害と頑強な抵抗に阻まれ攻略できず、以後20日間程対陣を続ける。この間に上杉勢援軍との小競り合いや更なる増援の報に接し、家康は援軍(井伊直政(一部部隊は当初より参陣)、大須賀康高松平康重の5000)を出すと共に一時撤退を下令、これを受け徳川軍は28日に上田より撤退した。その後も、大久保忠世ら諸将は小諸城に留まり真田勢と小競り合いを繰り返すも、11月には譜代の重臣石川数正が豊臣家に出奔する事態に至り、完全に撤退することになる。

合戦の記録は真田家の『真田軍記』ほか、徳川方の『三河物語』にも記されている。この戦いで昌幸は優れた智謀であると評されることとなる。また、この合戦によって徳川家康の真田氏に対する評価は高まり、結果として本多忠勝の娘である小松姫真田信之へ嫁がせて懐柔するきっかけともなった。

真田氏はその後豊臣政権に臣従しており、上田合戦に至るまでの諸勢力との外交や数ヶ郡を支配する勢力拡大は、真田氏が小領主から大名化していく過程であると指摘される。

上田市立博物館には、神川合戦の合戦図が所蔵されている。

なお、この上田合戦に連動して天正13年(1585年)9月から天正14年(1586年)5月まで間、沼田城にも北条氏が数回に渡って攻撃を仕掛けていたが、昌幸の叔父にあたる城代矢沢頼綱(矢沢頼康の父)が撃退に成功している。

 

参考記事

matome.naver.jp

不発wwまさに未必の故意としかいいようがない脚本。

悪い意味で慣れてきたな。

 

www.oricon.co.jp

 

 

それでは、また来週。

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