@なかさだの「終わり良ければすべて良し」 All's Well That Ends Well by @nakasada

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NHK大河ドラマ『真田丸』感想-今週の真田丸 第17回 「再会」 (5/1放送 ネタバレありセリフまとめ) 

 

 どうも、なかさだです。

 

 

NHK大河ドラマ真田丸』感想-今週の真田丸 

第17回 「再会」

 

ご当地大河ドラマだから見るだけでは、つまらんので記事にしています。

*毎週日曜日6時のBSの放映後に更新するので閲覧注意です。

 

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ゴールデンウィークになって上田城跡公園もけっこう混んでますね。

真田丸大河ドラマ館は来場者数が3ヵ月で20万人を早くも突破したらしいです。

凄いですよね大河ドラマ効果。

 

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大手門方向から入って行くと左手にあります。

 

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飲食店が並んでお茶屋というかフードコートみたいになってますね。

美味だれ(おいだれ)焼き鳥が人気だそうです。

 

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駐車場がね朝の8時半には満車なんですけど、これ見たら分かりますよねw

今は新緑が鮮やかで桜は終わってしまいましたが、2の丸御殿跡の藤(終わりそう)とツツジが見頃です。

おもてなし武将隊と記念写真も撮れますけど、かなり並んでましたねw

チーズじゃなくて、じゅーゆーしでシャッター切ってましたよ。

どうでもいいですねwww

 

 

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 ついに早丸の視聴率が5%突破ですか?

もうネタバレ記事を書く必要もなさそうですねw

とりあえずこのブログは感想文だからいいかな。

実はわたし第16回の放送は当日の6時に見て8時に見て、あとで録画を見て、結局計3回見ました。

この大河ドラマに3回見る価値があるとは思ってませんけど、記事を更新しようかなと思ってねw

 

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うーん、どうなんでしょうねえ?

 

俳優陣は豪華ですが、脚本的には民放の放送だったら視聴率10%は行かないくらいのドラマというのが、これまで見てきた、わたしの感想なんですけど。

暴言ですw

第1クールっぽかったツッコミどころ満載だった信繁青春クライマックス編に比べると、完全にホームドラマっぽくなったので、仕方ないかなあ。

 

例えばですけど秀吉が勢力を拡大していく中で、回想でもいいから戦場というか合戦のシーンを作って、その中で家臣の加藤清正福島正則が出てくるような展開なら面白かったと思いますが、そういうのは一切なしですもんねえ。

第1クールは、一応はそういうのあったじゃないですか?

信繁が見なかったことは省略する方針で作るのはいいけど、豪華俳優陣の使い方がもったいないんだよなあ。

 

加藤清正が出てきたシーンで、ここまで印象に残っているのが、信繁を井戸に落とそうとするシーンだからね。

九州征伐も省略だろうし、ホントもったいないわ三谷幸喜

CGでいいんだけどね。

 

headlines.yahoo.co.jp

 

今週再登場するらしい木村佳乃が何かをやらかすようです。

というか木村のせいじゃなくて、三谷の脚本に問題があるようですなw

 

男優陣が練ったドラマを女優陣がぶっ壊すというのが、このドラマのお約束ですがどうなんでしょうねえ?

こういうパターンも正直飽きたというか、ああ、またかと思うんですが、期待を裏切ってくれると記事を書いていても面白いんだけどね。

真田家の存亡がかかった緊迫した流れの中での再登場は、なぜ?今なんだとしか思えません。

もったいねえよ三谷ww

 

今週は毎週貼っているネタバレ記事が(クランク・イン)無かったのですが、サプライズ演出で木村佳乃を出す都合上、書かなかったのかもしれませんw

あっと驚くのか失笑ネタなのかは、放送を見てのお楽しみですね。

 

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 今週は親父殿が上洛するのかな?前回は2日しか進捗しなかったんで分からんけど。

 

 地元情報です。

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真田丸 - 2NN 2ちゃんねるニュース速報+ナビ - 2ch News Navigator

今まで見ていなかった人もここでチェックすれば、丸わかりです。

 

 

 

まずは先週のおさらいから


5分で分かる真田丸~第16回「表裏」~

 

5分で分かる真田丸~第16回「表裏」~

 

 

 

第16回「表裏」のあらすじ(簡潔にまとめました)

 大坂編第3回

 

 秀吉に臣従した上杉景勝は、信繁を置いて越後へ帰ってしまう。

 

信繁は大坂に残り、酒に酔って井戸に落ちて死んだ権左の代わりで、秀吉の馬廻衆(黄母衣衆)として大坂城で働くこととなった。

真田昌幸は秀吉の情報が欲しいため人質として、信繁を大坂に置くことにしたが、またも上洛はしなかった。

秀吉はこれを利用することにした。

一方で秀吉は九州征伐に乗り出し(まだ行ってないかも)、自らの勢力を広げ、太政大臣にまで上り詰める。

 

大谷吉継石田三成は堺の商人の代表である千利休を失脚させる罠を仕掛ける。

 

家康は真田征伐の準備を進め、秀吉に戦の許しを請う。

秀吉は上杉に真田に手を貸さぬよう指示し、家康の真田攻めを認めたが信繁には知らせなかった。

昌幸は家康が全軍で攻めてくることを知り、信繁に秀吉をとりなすように懇願する。

 

 信繁は使者として浜松へ向かうことになった片桐且元から、秀吉の真意を聞かされ、真田家の存亡を憂い、家康の真田攻めを認めぬよう直訴しようとするが会えなかった。

放心状態で秀吉を探す信繁だったが、大阪城内で偶然、茶々と遭遇する。

 

こんなところかな。

秀吉と三成に会えなかったので、信繁が茶々に直訴しそうなところで終わった。

信繁が加藤清正に殺されそうになって、通りかかった秀長に助けられるシーンとかいろいろあったけど、45分間に盛り込み過ぎのような気はするね。

大忙しで歴史上のエピソードを適当に消化している感じが否めない。

というかセリフを拾うのが億劫になってますww

 

 

参考に

豊臣秀吉 - Wikipedia

天正14年(1586年)9月9日、秀吉は正親町天皇から豊臣の姓を賜り[注釈 20]、12月25日には太政大臣に就任し[注釈 21]、ここにその政権を確立した(豊臣政権[注釈 22]

この年、天正地震の影響もあり、徳川家康に対しては融和策に転じ、妹・朝日姫を家康の正室として、さらに母・大政所を人質として家康のもとに送り、配下としての上洛を家康に促す。家康もこれに従い、上洛して秀吉への臣従を誓った[注釈 23]

この間、越中国佐々成政に対しても8月から討伐を開始したが(富山の役)、ほとんど戦うことなくして成政は8月25日には剃髪して秀吉に降伏している。織田信雄の仲介もあったため、秀吉は成政を許して越中新川郡のみを安堵した。こうして紀伊・四国・越中は秀吉によって平定されたのである。

九州平定とバテレン追放令[編集]

その頃九州では大友氏龍造寺氏を下した島津義久が勢力を大きく伸ばし、島津氏に圧迫された大友宗麟が秀吉に助けを求めてきていた。天正13年(1585年)、関白となった秀吉は島津義久大友宗麟に朝廷権威を以て停戦命令(後の惣無事令第一号)を発したが九州攻略を優勢に進めていた島津氏はこれを無視し、秀吉は九州に攻め入ることになる。

天正14年(1586年)には豊後戸次川(現在の大野川)において、仙石秀久軍監とした長宗我部元親長宗我部信親十河存保大友義統らの混合軍が島津家久と戦うが、仙石秀久の失策により、長宗我部信親や十河存保が討ち取られるなどして大敗した(戸次川の戦い)。

だが天正15年(1587年)には、弟の秀長と軍監・黒田孝高を伴い20万の大軍を率いて九州に本格的に侵攻し、島津軍を圧倒、島津義久を降伏させる(九州征伐)。九州へ行く途中に、備後国へ亡命中の足利義昭のもとを訪れて会見、戦後に義昭は京都に帰り、将軍職を辞して出家した。こうして秀吉は西日本の全域を服属させた。

九州平定後、住民の強制的なキリスト教への改宗や神社仏閣の破壊といった神道・仏教への迫害、さらにポルトガル人が日本人を奴隷として売買するなどといったことが九州において行われていたことが発覚し、秀吉はイエズス会準管区長でもあったガスパール・コエリョを呼び出し問い詰めた上で博多においてバテレン追放令を発布した。しかし、この段階では事実上キリシタンは黙認されていた。

同年10月1日には京都にある北野天満宮の境内と松原において千利休津田宗及今井宗久らを茶頭として大規模な茶会を開催した(北野大茶湯)。茶会は一般庶民にも参加を呼びかけた結果、当日は京都だけではなく各地からも大勢の人が参加し、会場では秀吉も参加して野点が行われた。また、黄金の茶室も披露されている。

 

wikipediaより引用

 

真田昌幸 - Wikipedia

豊臣政権時代[編集]

天正13年(1585年)冬、次男の信繁が上杉景勝の人質から、盟主である豊臣秀吉の人質として大坂に出仕し、昌幸は豊臣家に臣従した。

天正14年(1586年)には佐久に侵攻する。5月25日には北条氏直に沼田城を攻撃されるが撃退した。7月には家康が昌幸征伐のために甲府に出陣する。しかし8月7日に秀吉の調停を受けて真田攻めを中止。その代わりに11月4日、秀吉の命令で昌幸は家康の与力大名となった[39]

天正15年(1587年)3月18日に昌幸は小笠原貞慶とともに駿府で家康と会見し[40][41]、その後上坂して大坂で秀吉と謁見し、名実ともに豊臣家臣となった[39]。 なお、真田氏は上杉氏を介して豊臣大名化を遂げたのではなく、上杉氏には真田氏を豊臣大名化させる意志はなかったため、昌幸が独力で交渉窓口を切り開いた。有力な取次と関係を構築できなかったので、豊臣大名化が遅れた[42]

天正17年(1589年)には秀吉による沼田領問題の裁定が行われ、北条氏には利根川以東が割譲され昌幸は代替地として伊那郡箕輪領を得る。この頃、昌幸は在京していたが、11月には北条氏家臣の猪俣邦憲名胡桃城を攻め、これが惣無事令違反とみなされた[43]。この名胡桃城奪取事件の際、昌幸から同城代に任命されていた鈴木重則は昌幸に対して責任を取る形で自害した。この名胡桃城奪取事件は天正18年(1590年)の小田原征伐の原因となる[註 7]

小田原征伐に際しては、天正18年(1590年)1月8日に秀吉から3か条の条目を与えられている[44]。3月上旬には上杉景勝前田利家ら北陸の豊臣軍と共に北条領の上野に攻め入り、北条家重臣の大道寺政繁が守る松井田城を攻めた[44]。この小田原征伐の間、昌幸は秀吉・石田三成らと相互に情報交換を繰り返しており、松井田城包囲中に三成宛に「上野国中に悉く放火仕る」と報告している[44]。松井田城攻略後は上野における北条家の属城を次々と落とし、4月29日付の秀吉の昌幸宛書状では北条属城の攻略を受けてその仕置を命じられて、武器・兵糧・弾薬の没収を務めている[註 8]。以後、北陸軍は上野・武蔵など関東北部の北条属城を落としながら南下する[45]石田三成の指揮下で大谷吉継らと忍城攻めに加わったと伝えられ、浅野長政らと持田口攻めを担当したが甲斐姫らに撃退されたとされている。

北条家が降伏すると、家康は関東に移され、関東の周囲には豊臣系大名が配置されて家康の牽制を担った。昌幸は秀吉から旧領を安堵され、同じく家康牽制の一端を担った。昌幸は秀吉から家康の与力大名とされていたが、沼田問題で昌幸の在京期間が長期に及んで秀吉の信任を得る事になり、正式に豊臣系大名として取り立てられていた可能性が指摘されているが、それを示す直接的史料は無い[46]。なお安堵された領地の内、沼田領は嫡子の信幸に与えられ、信幸は家康配下の大名として昌幸の上田領から独立した[47]

文禄元年(1592年)、文禄の役では肥前名護屋城に在陣した[48]。昌幸は秀吉の命令で500人の軍役が課されており、16番衆組として徳川家康ほか関東・奥羽諸大名の中に編成された[49]。昌幸は渡海命令を与えられる事の無いまま、家康と共に文禄2年(1593年)8月29日に大坂に帰陣した[48]。この1年半の間、上田領内に発給した昌幸の文書は皆無であり[48]、上田統治は家臣に任せていた可能性が高い。

大坂に帰陣した後、渡海しなかった代償として昌幸らには秀吉の隠居城である伏見城の普請役の負担を命じられた[48]。そのため昌幸は上京してその指揮を務め、資材や労働力を負担したが、この間に豊臣秀頼が生まれたため、一応は完成していた伏見城の更なる拡張工事を命じられて普請に当たっている[48]。昌幸は普請役では知行高の5分の1の人数負担が割りふられており、その人数は270人を数えている[50]。ただし扶持米は豊臣家から支給された[50]。また、築城工事の最終段階で木曽材の運搬役を秀吉から命じられている[註 9]。この軍役や普請の負担の功労により、文禄3年(1594年)11月2日に秀吉の推挙で信幸に従五位下伊豆守と豊臣姓[51]、信繁に従五位下左衛門佐と豊臣姓が与えられた[50]。なお、信繁はこの頃になると昌幸の後継者としての地位を固めつつあった[50]

慶長2年(1597年)10月、秀吉の命令で下野宇都宮城主の宇都宮国綱改易されると、その所領没収の処理を浅野長政と共に担当した[51]

時期不明であるが、秀吉から羽柴の名字を与えられたのであろう「羽柴昌幸」の文書が残っている[52]

 

wikipediaからの引用

 

徳川家康 - Wikipedia

これに対して家康は東国において武田遺領の甲斐・信濃を含めた5ヶ国を領有し相模国北条氏とも同盟関係を築いていたが、北条氏との同盟条件である上野国沼田(群馬県沼田市)の割譲に対して、武田遺臣で沼田領の旧領主で、武田氏滅亡後は信濃国上田城主として自立していた真田昌幸越後国上杉氏・秀吉方に帰属して抵抗した。家康は大久保忠世鳥居元忠平岩親吉らの軍勢を派兵して上田を攻めるが、昌幸の抵抗や上杉氏の増援などにより撤兵している(第一次上田合戦)。また同年には、家康は背中の腫れ物の病で苦しみ、重篤に陥るも、最終的には治った。

徳川氏の勢力圏拡大の一方で、徳川氏の領国では天正11年(1583年)から12年(1584年)にかけて地震や大雨に見舞われ、特に5月から7月にかけて関東地方から東海地方一円にかけて大規模な大雨が相次ぎ、徳川氏の領国も「50年来の大水」[19]に見舞われた。その状況下で北条氏や豊臣政権との戦いをせざるを得なかった徳川氏の領国の打撃は深刻で、三河国田原にある龍門寺の歴代住持が記したとされる『龍門寺拠実記』には、天正12年に小牧・長久手の戦いで多くの人々が動員された結果、田畑の荒廃と飢饉を招いて残された老少が自ら命を絶ったと記している。徳川氏領国の荒廃は豊臣政権との戦いの継続を困難にし、国内の立て直しを迫られることになる[20]

家康の豊臣政権への臣従までの経緯は『家忠日記』に記されているが、こうした情勢の中、同年9月に秀吉は家康に対して更なる人質の差し出しを求め、徳川家中は酒井忠次本多忠勝ら豊臣政権に対する強硬派と石川数正ら融和派に分裂し、さらに秀吉方との和睦の風聞は北条氏との関係に緊張を生じさせていたという。同年11月13日には石川数正出奔して秀吉に帰属する事件が発生する。この事件で徳川軍の機密が筒抜けになったことから、軍制を刷新し武田軍を見習ったものに改革したという[21]

天正14年(1586年)に入ると秀吉は織田信雄を通じて家康の懐柔を試み(『当代記』)、4月23日には臣従要求を拒み続ける家康に対して秀吉は実妹朝日姫(南明院)を正室として差し出し、5月14日に家康はこれを室として迎え、秀吉と家康は義兄弟となる。さらに10月18日には秀吉が生母・大政所を朝日姫の見舞いとして岡崎に送ると、同24日に家康は浜松を出立し上洛している。

家康は同年10月26日に大坂に到着、豊臣秀長邸に宿泊した。その夜には秀吉本人が家康に秘かに会いにきて、改めて臣従を求めた。こうして家康は完全に秀吉に屈することとなり、10月27日、大坂城において秀吉に謁見し、諸大名の前で豊臣氏に臣従することを表明した。この謁見の際に家康は、秀吉が着用していた陣羽織を所望し、今後秀吉が陣羽織を着て合戦の指揮を執るようなことはさせない、という意思を示し諸侯の前で忠誠を誓った(徳川実紀)。

 

wikipediaより引用

 

上杉景勝 - Wikipedia

豊臣政権時代[編集]

本能寺の変を知った織田北征軍が領国に引き上げた隙に、須田満親が魚津城を回復。また、信濃国人衆が川中島を統治する森長可らに反乱を起こしたのに呼応し、上杉軍は北信濃に侵攻した。同様に、上野を支配していた滝川一益を追った北条氏直信濃の領有をめぐって争うが、北信濃4郡の上杉方への割譲を条件に講和した(天正壬午の乱)。その後、織田政権において台頭した羽柴秀吉豊臣秀吉)と好を通じ、天正11年(1583年)、賤ヶ岳の戦いでは秀吉より、越中国侵攻を命ぜられた。しかし、柴田方に与した佐々成政と睨み合いになり、本国から動けず合戦には参加できず、須田満親も同年中には、魚津城から信濃国海津城松代城)へ退転した。天正12年(1584年)、小牧・長久手の戦い天正13年(1585年)、富山の役でも秀吉に味方し、佐々成政を牽制した。また同年、信濃国小県郡(上田)および上野国吾妻郡(岩櫃)・利根郡(沼田)を領有する真田昌幸を一時的に従属下に置いた。

天正14年(1586年)6月、上洛して秀吉と会見し、養子・畠山義真(当時は上杉姓)を人質として差し出して臣従し、命脈を保った。その際に、越中国(前年閏8月に秀吉の待つ富山城に景勝は参上せず[5])と上野国真田氏の豊臣大名としての独立)の領有を放棄、換わりに佐渡出羽両国の切り取りを許可される。このとき、景勝は正親町天皇に拝謁して左近衛少将に任じられた。

天正15年(1587年)、秀吉の後ろ盾と協力を得た景勝は、長年にわたり抗争状態にあった新発田重家を討ち(新発田重家の乱)、再び越後統一を果たした。天正16年(1588年)には上洛し、豊臣姓羽柴の名字を下賜され、6月15日従三位・参議に昇叙された[6]天正17年(1589年)には佐渡国本間氏を討伐し、佐渡国を平定した。これにより、越後、佐渡二国に信濃川中島四郡と本庄繁長最上義光と激しい争奪戦をして奪った出羽庄内三郡、併せて約90万石の支配領域が確定した。

天正18年(1590年)、秀吉の小田原征伐にも、山浦景国を先鋒として出兵し、前田利家真田昌幸らとともに、上野・武蔵の北条方諸城を攻略した。

文禄元年(1592年)、秀吉の朝鮮出兵が始まると、5,000人を率いて肥前国名護屋に駐屯し、翌文禄2年(1593年)の6月6日から9月8日まで、秀吉の名代として家臣の高梨頼親らを伴って朝鮮に渡る。このとき朝鮮半島における日本軍最前線基地として熊川に城(倭城)を築城している。文禄3年(1594年)には中納言となり、「越後中納言」と呼ばれた。

文禄4年(1595年)1月、秀吉より、越後・佐渡の金銀山の支配を任せられた。同年豊臣家五大老の一人小早川隆景家督小早川秀秋に譲り隠居したため、空いた五大老に景勝が任命された。

慶長3年(1598年)、秀吉の命により会津120万石[注釈 7]に加増移封され、以後は「会津中納言」と呼ばれた。一説によると当初、秀吉は徳川家康ではなく景勝を関東管領の位置付けとして、関東に移封するつもりであったともいわれる。旧領地から引き続き統治が認められたのは、佐渡一国及び越後のごく一部(東蒲原)と出羽庄内地方のみで、後は伊達氏の領地だった出羽置賜地方陸奥伊達郡信夫郡刈田郡伊達政宗が征服した会津地方であった。また、各地は山地で隔絶され、現在でも交通の難所と呼ばれる峠道で結ばれているだけであった。常に北側に境を接する最上義光伊達政宗と衝突の危険性が有り、宇都宮12万石に減移封された蒲生氏に代わり東北諸大名と家康の監視と牽制という重大な使命が科せられ、結果的に家康との対立は避けられないものとなる。景勝は要となる米沢城に家老の直江兼続を配置、対伊達氏最前線の白石城甘糟景継福島城の本庄繁長、梁川城須田長義東禅寺城志駄義秀を指揮させた。

 

wikipediaより引用

 

北条氏征伐について

小田原征伐 - Wikipedia

 

 

 *ネタバレというか今回のあらすじです

 

信繁は秀吉が家康に真田攻めを許したと知り驚く。

必死で取り消すよう頼むが、秀吉は取り合わない。

昌幸は家康以上に秀吉に秀吉への警戒を強める。

一方、信繁は茶々に仕えることに。

無邪気な茶々は信繁を翻弄する。

やがて家康の上洛が決定するが、秀吉はある策を使うために信繁を利用しようとする。

さらに信繁の前に現れたのは、意外な人物によく似た女性だった。

 

下のページから引用です。

www.nhk.or.jp

 

第17回「再会(さいかい)」

 

BSで早丸を見ながらサラッと書いていますので、名セリフも漏れまくりですw

 録画を見て加筆訂正しました。

 

身投げしたはずのお姉さんと再会なのか、親父殿と再会なのか分からねえw

セリフが最近は多いから、名セリフ拾うの面倒だな。言い訳です....

 

 真田にとって最大の危機が訪れようとしていた

 

いよいよ来るぞ~!家康が攻めてくる

家康め秀吉の許しを待っていたようじゃ

 

ならば我らも新しき策で行こう

 

案ずることはない、この城さえあればかならず勝つ

いつも出浦氏は強気だな

 

信尹からの情報か?

軍議のシーンから始まった

高梨氏は戦の準備にとりかかる

 

 信繁に不満を持つ家族たち

 

それにしても大坂の源次郎は何をしているのだ?

このような大事をなぜ知らせてこない?

文は送っているが一向に返事はありません

 

秀吉が京都から大坂城に戻った

でかい瓢箪だなw毎回登場シーンになると出てくるね

 

公家衆と話をつけてきた!

大名たちの官位を上げるよう頼んできたわ

わしだけ、えらあなっても、しかたにゃーしのうw

 

実のところはよ、関白になったら官位の低いものとは酒も飲めんらしいで

それじゃあ、あんまり寂しいもんだで家臣も一緒に偉くしてもらおうということじゃ

 

直訴する信繁

恐れながら殿下!!

 

構わぬ、何じゃ?

 

徳川様に真田攻めのお許しを出したということは誠でございますか?

 

まことだよ

家康はわざわざ許しを求めてきた

ここは乗ってやるのが筋というものじゃ

 

しかしそれでは家康の思う壺ではありませんか!!

強気だな信繁、関白相手に

 

真田は滅びてしまいます!!

 

そういきり立つな

 

しかしっ、殿下!!

 

うるさい!!

 

 源次郎お前も一緒に参れ

面白いものを見せてやる

秀吉にどこかに連れて行かれる源次郎

 

浜松城にて片桐且元は家康に会見

秀吉からの書状を読み上げる且元

 

殿下のため必ずや真田を成敗いたします

 

本多忠勝がw

失礼ながら片桐様は静ヶ岳七本槍のお一人であられるとか?

 

如何にも

 

天下の豪傑にお会いできて光栄にぞんずる

 

 

 秀吉のために戦うのではないわ!

今度こそ真田を滅ぼす!

 

この平八郎におまかせあれ!!

 

 再びシーンは大坂城に戻った

 

出雲大社の巫女で阿国というおなごがおってな

今日の河原で踊ってるのを見ていっぺんで気にいってな

こうしてたまに呼んでは踊らせておる

 

左様なものを見ている気分にはなれませぬ!

まだ怒っている源次郎

 

これは他言無用だ殿下は徳川に対し真田討伐を認めた後、

すぐに一時取りやめの命を出される

 

どういうことですか?

 

家康はわしの顔を立てた

よってわしも一度は家康を立てる、これであいこ

その上で改めて戦の中止を命じるわけよ

その時家康がどう出るか、それを見極める

 

 

真田は滅びぬ

家康に戦を許し、すぐに中止させる策だ

 

片桐様は知っておられるのですか?

 

言うわけ無いだろw

 あれは腹芸などできる男ではない

安心せい真田はわしが守ってやるw

 

出雲の阿国登場、広い舞台だな大坂城

踊りが始まる

 

お許し下さい、殿下の真意も測れず余計なことを

 

うるさいよ

 (側に来るように秀吉に合図される信繁)

 茶々のことだが、わしの留守の時におうたそうだな?

怒ってはおらぬ、あれはお前を気にいっている

お前の顔立ちはあれの好みだ、そう怯えるなw

おまえは利口な男だ、権左とは違う

ヘンな虫がつかぬようにそばで見張って欲しいのだ

頼んだぞ

 

一方的に茶々のボディガード役にされてしまう信繁

 

阿国のバックダンサーが乱入

あれ?松がいる?

秀吉と一緒なのに思わず立ち上がる信繁

身投げのシーン(回想)

 

片桐且元の寝所のシーン

 

足音で目覚める且元

 

片桐様、本多正信にございます

 

如何なされた?

わが主(あるじ)が至急お越し願いたいと

 

何かございましたか?

 

大坂より書状が参りました

 

翌朝、徳川家臣団の前で申開きさせられる且元

 

これは一体どういうことでござるか?

 

わたしにも皆目分かりませぬ(当惑する且元)

 

すでに出陣の支度は整っておる

今更真田攻めを待てと言われても困り申す!!

関白待ったとは何事か!!

我が軍勢は今日にも上田に向かって出陣する手はずになっておる!

そのすべてを無しにせよと申されるか?

 

激怒する家康

 

お待ち下さい今一度大坂に立ち返り、殿下にご真意を伺ってまいりますぅ

(且元泣きそう)

 

遅いわぁ!!!!

 (一喝される且元、いじめられキャラだなw)

 

殿いかがなされますか?

 

待てと言われたら待つしかあるまい

 

心臓を押さえる且元(殺されても仕方ない状況を秀吉に作られたのはヒドすぎ)

 

 

 席を外した家康と正信

してやられたわ!!猿めに!!

 

関白殿下は殿の忠誠を試されたのでしょう

 

ならばハナから戦の許しなど出さねばよいものを!

 

底意地の悪さを見たわ!!

 次に奴はどう出る?

 

真田のカタがついたとあれば

ついてはおらぬ!!

 

早々に上洛せよと言うてきましょうなあ

 

わしは行かんぞ!!

 

信州上田のシーン

驚くなあ家康が真田攻めを取りやめた

秀吉から待ったがかかったらしい

 

信尹の言うことじゃあ間違いはない

実を申すとなあ ここだけの話少々ほっとしておる

 

どういうことでございますか?

 

上杉も頼れず秀吉も敵に回しここで徳川に攻めこまれては

とても防ぎきれるものではなかった

 

しかし新しき策とは?

そんなものはないよ(新しい策なんてない)

 

なにゆえ秀吉は待ったをかけたのでしょう?

 

決まっておるだろう、真田の値打ちを認めたのよ

 無論気は許すな、だがこれで時を稼げる

 

昌幸は上田城下の要塞化を指示

 

呆れる信幸

 

秀吉という男家康より2枚も3枚の上手と見た

あの家康が振り回されておるわ

 

父上、ここは我らも上洛したほうが良いのではないでしょうか?

 

前から思って追ったのだがここに新しい石垣を築くというのはどうじゃ?

(進言をスルーされる信幸)

 

上洛はせん、ここまで粘ったのだ、せっかくだ、もう少し粘ってみよう

もっともっと真田の値打ちを高めるのじゃ

どうせ下につくのならとことん値打ちを吊り上げてやろう

 

これが真田安房守のやり方よ

 まあ、見ておれ

 

信幸の意見は無視w

寝室のシーン嫁に愚痴る信幸

 

果たしてほんとうに大丈夫なのか?

秀吉という男を甘く見ている気がしてならんのだ

取り返しがつかないことにならなければいいのだが

 

再び大坂城

茶々に会う信繁

 

竹内は相変わらず頭悪そうな演技だなw

 

 

大阪城中秀吉のシーン

どうして家康は来ないのじゃ!!

佐吉黙ってないでなにか言え!

 

人質はすでに朝日を送っておる

 

朝日さまに勝る新しい人質が必要です

 

しかしなあ、拾の妹より上となると?

これしかないか!!

 

実母のなかを説得する秀吉

頼むお袋様!家康のところに行ってちょーせんか?

 

実の母親に人質に行けなどよう申せますね?

 

他に手がないのじゃ!

 

徳川様を呼び寄せるのがそこまで大事なことなのでございますか?

母上様のお命よりも?

 

 

あの~藤吉郎がそれで助かるのなら

わたし喜んで行くぜのう

 

母上様が許しても私が許しません!

 わたしはよう藤吉郎のおかげでこんな贅沢をさせてもらってる

藤吉郎の役に立つなら喜んで行かせてもらうでな

 

母親を人質に差し出すことにした秀吉

 

さすがはお袋様だぎゃー!!

人たらしの本性が出たなw

 

茶々のいる奥の前で詰める源次郎

 

茶々にきりを紹介する源次郎

 

ふたりはいい仲?

 

本妻ですw席を外すきり

目が怖い茶々

 

三成に呼ばれる信繁

 

貸してあげてもいいけどちゃんと返してくださいね

(茶々にモノ扱いされる源次郎)

 

家康の人質に対する処遇を聞かれる信繁

 

家康は(信繁の祖母を)丁重に扱ってくれたか?

 

殿下の母上をぞんざいに扱うはずはない

 

なら良いのだが

 

なかを人質に差し出すことを知った清正と福島正則が乱入

お前御祖母様に何か会ったらどうするんだ!!

 

人質に出すとはそういうことだ

 

人質は 俺が代わりに行く(正則)

 

お主にそれだけの値打ちはない

 

ぬかせ~!!(キレる正則)

 

清正が割って入る、顔が近いww

 

そんなに恐ろしいか家康が

 

家康が上洛することが殿下にとって、どれだけ大切か一晩よく寝て考えろ

 

お主らの気持ちはよう分かる

しかし全ては殿下のため三成に食って掛かるのは見当違い(吉継)

 

こいつが殿下をたきつけたんだ

 

なら、そう思っておれ

 

三成をかばう大谷吉継

 

2人の顔を見ない三成

 

清正を止めに入る源次郎

こっち見ろよ!!見ろよ!!

お前のやり方はここがねえんだよ!!

冷たいんだよ

前々から嫌味な男だと思っていたがようやく分かったぜ

お前にはな

情ってものがないんだよ!

 

お前泣いてんのか?

 

馬鹿と話すと疲れる

あいつらに気に入られたいとは思っておらぬ

 

秀吉に母親を人質に差し出されて家康は当惑する

母親を人質に出すとは秀吉も思い切ったことを

 

そろそろ上洛してやりますか?

猿の母親の顔を用紙っておられるお方が、すぐ近くに(おりまする)

 

ナレーション

秀吉の妹の朝日、このとき44歳

清水ミチコ登場ww

 

阿茶局と仲が悪いようだ

 

良い知らせを持ってまいりましたぞ

大坂からなんとそなたの母上がやってくる事になった

 

扇子で口を隠し家康とは直接話さない朝日

 

いつかと聞いておられます

 

わしに嫁いでからずっとその顔じゃ

事情はともあれ、わしらは夫婦じゃ、多少は心をひらいてくれてもよかろう?

さあ、笑ってくれ(朝日の手を取りご機嫌をとる家康)

 

扇子で口を隠し目の前の家康とは直接話さない朝日

阿茶局が代弁

 

笑っておられるようです

 

朝日姫は無言wwナニこの顔芸

やりすぎw

 

 1586年10月18日

おかんが到着、且元帰ってなかったのかww

三河岡崎城で朝日姫は大政所と対面を果たした

 

あさひ~!

おっ母~!!!

 

 

秀吉の母親なかを確認した家康はついに上洛

 

 

稽古中の出雲阿国の踊り子の中に松に似た女性がいるのをきりと確認する信繁

ガチガチじゃ良い踊りはできないって言ってるだろう!!

 いつも言ってるだろう腹から息を吸うんだ丹田から息を出す

すると不思議と力が抜けていく

 

阿国にスカウトされかけるきり

ゴメン(素質があると思ったのは)わたしの勘違いでした

 

実は踊り子の中に知り合いによく似たおなごがいたのです

本能寺の変の時に琵琶湖に身を投げているのです

藤の髪飾りの人です

 

あの、姉上でいらっしゃいますよね?

生きておられたのですね?

 

 はい?

どういうこと?

 

あっははは悪いけど人違いだよ~あはは

 

あの子はお藤です、他人の空似では?

って、ここで終わりかよw

 

信繁の寝床に現れる秀吉

殿下?

 

わしの相談に乗ってくれ

わしは家康に合うのが恐ろしくて仕方ないのだ

わしはこう見えてもどえりゃー気が小さいもんで~

明日家康の前に出たらシュンとしてまうにきまってる

 

それじゃいかんのだわ!!

 

今夜のうちに家康に会う

一度会っとけば明日上がらなくて済む

 

秀吉と家康の媒をお願いされる源次郎

頼むで源次郎、わしがわざわざここまで足を運んで頼んでおるのだ

力になってちょー

 

 

 

秀長宅の家康をもてなす信繁

 

お久しゅうございます

 

まさか大坂で会うとは思わなんだ

 

親父殿は息災であるか?

 

安房守の戦上手に感服した

 

徳川様の兵もなかなかの戦いぶりでございました

煽ってどうするつもりだ源次郎w

 

一度安房守には兵法の極意を教えてもらいたいものだ

 

ところでどうしても今夜、徳川様に会いたいと申される方が

 

殿下でございます

 

ええい、面倒くさい、わしじゃ!!

 

腰を抜かす家康

ビビりすぎだろ、いくらなんでもw

 

一体どういうことでございますか?

 

明日の会見で一芝居売って欲しい

 

家康に直接、演技指導する秀吉

その場にいる誰もが分かるように高らかに言上するんじゃ

 

源次郎、お前からもお頼み申し上げよ!

 

かんべんしてくれ、わしは芝居は苦手じゃ

上がってしも打て体がガッチガチになってしまうのだ

(上がり症なんだよ、そういうキャラか家康?)

 

そういう時は丹田です!!

腹に息をためて丹田から息を吐くつもりですぅ~と出す

すると不思議と力が抜けていきます

(阿国の受け売りww)

 

セリフ多いなw書けねえw

秀吉の演技指導が続く

それからお主はこう言う

殿下のお召の陣羽織をわしにお譲り下さいませんか?

 

何故、この陣羽織を?

 

殿下にはこの陣羽織などもはや無用の品

こんにちより殿下に歯向かうものは、この徳川三河守が成敗いたしまする

 

どうした三河守、どうじゃ?

 

芝居がどんどん難しくなっております

 

 

 

やってちょうだあせぇ!!(秀吉が頭を下げる)

これからはわしとお主で日本を新しい世を築いていくのじゃ!!

我ら二人が同じ思いでいることを万民にしらしめたいのだ!!

どうか!!

 

分かり申した

 

徳川殿!!

 

家康から手を差し伸べた、握手する2人

 

 俺の言ったとおりだろうといった感じの三成

会合が終わり三成に上田への文を返される信繁

 

緊張していたので丹田から息を吐く信繁

 

慌てふためいていたのはお主一人だ

もっと物事の裏を読め

素直なだけでは生きて行けぬ

 

肝に銘じておきます

 

それにしても不思議な男よ

お主のような薄っぺらい小僧が上杉に気に入られ家康に取り入り

殿下も心をあっという間に掴んでしまった

 

何者なのだお主は?

 

真田昌幸の次男坊ですw

 

家康が上洛して心配な昌幸

人生調子がいい時ほど何かが起こるもんじゃ!

こりゃあ秀吉が滅びる日も近いぞ 

上洛はまだじゃ!!

 

 

関白秀吉に正式に拝謁する家康

当日の家康の演技は成功?表情が固いよなw

 

リハーサルどおり陣羽織を所望する家康

 

信幸の手紙朗読が続く

便りがないのは無事な証とは言いますが音信不通すぎるだろう?

大名ですらない我が真田家が上洛せずに秀吉に許される道があるのか?

秀吉のそばにいるお前が頼りなのだ

我らはどうすればよいのだ?教えてくれ源次郎

 

なんか今回も中途半端な終わり方だな

 

 

まとめ

 とりあえず45分見たけど、家康と秀吉のシーンが交互に飛びすぎで混乱するわw

今度は1時間半くらいで制作してくれ。

今回もセリフが追えないww

 

というか松(お藤)のシーンは何だったんだろう?

 今後も出てくるのだろうか?

何かの前フリなのか?

ちゃんと見ていないので理解できんw

 

しかし家康に先に上洛されたことで、昌幸の立場が危うくなったことは間違いない。

吉継と三成の文治派と清正と正則の武闘派の対立とか、今後も出そうな危ない関係が出来上がりつつあるね。

 

 今回も録画して、あとでもう1回見ようと思います。

抜けてる部分が多いと思うので、見たら更新するかもしれません。

 多分、補足したら長い記事になりますねえ....

 

 

 

第18回「上洛(じょうらく)」に続く

 

 

 

参考記事

zasshi.news.yahoo.co.jp

www.excite.co.jp

zasshi.news.yahoo.co.jp

headlines.yahoo.co.jp

 

それでは、また来週。

 

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All's Well That Ends Well by @nakasada