@なかさだの「終わり良ければすべて良し」 All's Well That Ends Well by @nakasada

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なぜ日本人は六曜を気にするのか?

 

どうも、なかさだです。

 

なぜ日本人は六曜を気にするのか?というより、このエントリーは、わたしは六曜を気にしているという話です。

 

わたしは、若い頃はどちらかといえば無神論者だった。

年を経て、お寺さんと関わることになってからは、それなりに宗教も受け入れるようになったが、それでもかなり迷信深いことは確かであるし否定もしない。

いや人前では表面的には否定するだろうけど、迷信を信じているなんて科学的ではないとか論破されるのがイヤで言っているだけにすぎない。

 

宗教はあまり信じていないが、祖先崇拝みたいなところはある。

そういうところは自分でも完全に矛盾しているなと思う。

 

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具体例で言えば、わたしは例えばカレンダーに書いてある六曜を異常に気にしたり、自分の中のジンクスみたいなものは、決して崩さなかったりする。

わたしは若い頃から頑固だと言われることが多かったが、そういうことも関係しているのかもしれない。

こんなことを書くと、かなりの占い好きだと思われるかもしれないけど、テレビでやっているような朝の星座占いなんかは、完全に無視しているうえに絶対に信じないので、自分でも基準がよく分からない。

 

六曜は何が原因で気にするようになったのかは、さっぱり分からないが、若い頃からかなり気にしている。

多分、冠婚葬祭のときや生活の中で、友引や仏滅がどうたらこうたら言われたことが、きっかけになったのだとは思うが、今でも行動するときはちょっと考えてしまう。

なんかうまく説明できないが、こころのすみに引っかかるのだ。

 

平日の仕事中なんかは忙しくて、完全に頭のなかから抜けているのだが、気にしだすときりがない。

今日なんか仏滅である。

今日は普通の5月2日ではないだろうなとか、一瞬だが思ってしまう精神構造はどうなっているのか自分でも笑ってしまう。

外に出かけられないほど重症ではないが、偶然、出先で自分にとって不運なことがあったりすると、ああ、やっぱりとか思ってしまう。

 

かといって過去に仏滅だったから、何か自分の人生において大事件があったのかというと、まったくそんなことはない。

だって毎月必ず6回も仏滅の日があるのだ。

そのたびに毎回縁起の悪いことが起こっていたら生きていけないしw

 

ただ、統計をとってるわけでもないから主観だけど、仏滅のときは何事にも慎重になるので、かえって凡ミスしない無難な1日になることが多いような気がする。

 

逆に大安だから、精神的にイケイケになって大失敗したということのほうが多いような気さえする。

ギャンブルなんか特にそうだな。

それから宝くじを買う日も大安が多い気がするし、他にも結婚式とか、お金が出て行くことが多いんじゃないかと思う。

 

この記事を書くにあたって、六曜を調べたら神道や仏教ともまったく関係ないことも分かったのだが、わたしはそんなことさえ知らないのに信じているのだから、たちが悪い。

 

六曜 - Wikipedia

 

たかがカレンダーに書いてある字が、迷信深い人間の行動に影響を及ぼしているとは考えづらいかもしれないけど、実際わたしなんかはそうだから、アタマおかしいんじゃね?とか思われるかもしれない。

 

カレンダーに六曜が書かれていないものだと落ち着かないし。

この時点で完全にアウトだよなw

 

休日とかに友人と会うときは友引だとイヤだしね。

そういう日は、もちろん相手に普段よりも気を使うし、発言が慎重になって聞き役に回ることが多いような気もするなあ。

 

六曜は星の動きが元になったようだけど、占星術なんかはまったく知らないし、これからも調べようとも思わないだろう。

 

ただ、満月の日は何かあるんじゃないかと思ってしまう。

統計的には事故が多いらしいけど、どうなんだろう?

 

他にも、わたしは厄年とか鬼門とかも信じているし、今まで自分を昭和の人間とか言ってたけど、基本的には大昔の中世の人と思考がぜんぜん変わらないのかもしれない。

 

ぜんぜん霊感もないしオカルト的なものには興味はないが。

 

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神社は氏子でもないので正直行くのはどうなんだろうと思っているが、昔からある大きくて立派な御神木なんか大好物である。単純に吸い寄せられてしまう感じだ。

 

ここまで極端だと、現代人目線から言えば、ほとんどカルトである。

 

まあ、だからといって何もしませんけどね。

一瞬思うだけというのが多いのだ。

 

迷信を100%信じて行動しているというわけでもないし、占いで自分が幸運だと言われれば、そうなのかなと思ったりもするし、その時の状況によって都合がいいように解釈して信じたり構わなかったりしてるんだと思う。

 

でも、わたしは運命論者かもしれないし、迷信深いけど宗教には否定的なのだ。

信じられるものという点では同じかもしれないし、多くの人の救いにもなっているだろう。

でも、わたしには昔から宗教には賛同しがたい嫌悪感があるのは事実だ。

単純に盲目的な集団が怖いんだと思う。

 

しかし、これだけ情報が溢れている現代でも、ちょっと自分の行動の基準となる、そういうものがあると安心できてしまう人間の精神の構造って、どうなんだろうね?

 

これまでを振り返れば、わたしはかなり悪運が強かったと思うが、迷信を信じて行動してなかったら死ぬような目には合わなかったかもしれないし、そうでなかったかもしれない。

まあ、相対的に見て自分の運が良かったのか悪かったかは、寿命が尽きないかぎりは分からないけどね。

 

21世紀になっても、安心したいがために迷信を信じてるなんて所詮、人間そんなものなのかもしれないですね。

 

多分、日本人で六曜を気にしているのは、わたしだけですけどね(笑)

 

それでは、また。

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