@なかさだの「終わり良ければすべて良し」 All's Well That Ends Well by @nakasada

日常の生活や気になるニュース、趣味のゴルフ、カメラの日記、つぶやきです。サブログhttp://nakasadaxnobel.hatenablog.com/

NHK大河ドラマ 『真田丸』 第34回 「挙兵(きょへい)」感想-今週の真田丸 (8/28放送 ネタバレあり)

   

 

どうも、なかさだです。

 

NHK大河ドラマ真田丸』第34回

「挙兵(きょへい)」感想

-今週の真田丸 

 

ご当地大河ドラマだから見るだけでは、つまらんので記事にしています。

*毎週日曜日6時のBSの放映後に更新するので閲覧注意です。

 

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 やっと関が原の合戦前夜くらいまで、ドラマが進んできましたね。

ここで盛り上がらなければ、どこで盛り上がるんだろうという気もしますが、そんなに急に視聴率が上がるわけでもないですね。

第2次上田合戦のシーンが終わったら、もう大阪夏の陣まで合戦シーンもなくて気が抜けたようになるような気がします。

小田原評定は長かったので、関が原の戦い自体はどうやって引っ張るのか興味がありますけど、セリフが多そうなので録画を見ながら書いたほうがいいような気もしますねw

 

ところで高畑容疑者が親子共演を果たしたシーンは、削除されたようなので、幻のシーンになるみたいですね。10月頃放送予定だったようですが。

ドラマとはまったく違う話題で有名になってしまった高畑淳子さんの出演シーンも減るのかな?

 

 

 

 

地元情報です。

ueda-sanadamaru.com

 9月3日だったと思いますが、上田市内は「真田幸村公出陣ねぷた」というお祭りがあって、一部通行規制があります。

趣旨がよく分からないというか、最近始まったばかりのお祭りなので、興味のある方はご覧になるのもいいかと思います。

 

 

NHKの公式ホームページです。

www.nhk.or.jp

 

 

 

 

 

真田丸 - 2NN 2ちゃんねるニュース速報+ナビ - 2ch News Navigator

今まで見ていなかった人もここでチェックすれば、丸わかりです。

 

まずは先週のおさらいから


5分で分かる真田丸~第33回「動乱」~

 

 

 

第33回「動乱(どうらん)」のあらすじ

 

次週『真田丸』、形勢不利の三成を救うため信繁は思いもよらぬ提案を/2016年8月20日 - エンタメ - ニュース - クランクイン!

第33話「動乱」では、三成は家康を討つため伏見城下の徳川屋敷を急襲することを決意。だが暗殺計画は徳川家重臣・本多正信近藤正臣)に漏れてしまう。

 正信は諸大名に危機を訴え屋敷の守備に駆けつけるよう呼びかけ、徳川につくかどうか踏み絵を踏ませる。一気に形勢不利となった三成を救うため信繁(堺雅人)は、昌幸(草刈正雄)のもとを訪ね、思いもよらぬ提案を行う…。

 

上記記事の引用

 

 

  *ネタバレというか今回のあらすじです

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俳優の堺雅人さんが主演を務めるNHK大河ドラマ真田丸」の28日放送の第34回「挙兵」では、家康暗殺に失敗し、謹慎することになった石田三成山本耕史さん)に対し、加藤清正新井浩文さん)ら反三成派七将が三成襲撃を計画する。

 

 21日放送の第33回「動乱」は、豊臣秀吉小日向文世さん)の遺言をことごとく無視し、自らの影響力を強めていく徳川家康内野聖陽さん)に対し、三成が伏見城下の徳川屋敷を襲撃しようとするという展開だった。

 第34回は、清正らが三成襲撃を計画する。信繁(堺さん)は伏見城下での武力衝突を恐れ、きり(長澤まさみさん)に上田へ帰るよう指示するが、きりはそれを断り、たま(橋本マナミさん)のもとに身を寄せ伏見にとどまる。清正ら七将の石田屋敷急襲が迫ったことを察知した信繁は、徳川方と目されている兄・信幸(大泉洋さん)と協力して危機に立ち向かうことになる。信繁は、三成の窮地を救うため一計を案じ、信幸とともに清正らと対峙(たいじ)する。

 第34回には哀川翔さんが演じる黒田家重臣・後藤又兵衛が登場。のちに大坂の陣で、信繁の最大の理解者となる猛将が信繁と出会う。

 「真田丸」はNHK総合で毎週日曜午後8時ほかで放送。

 

上記記事の引用

 

 

 

www.nhk.or.jp

 関ヶ原迫る!ということは今週はそこまで行かないのかな。

 

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 参考に

関ヶ原の戦い - Wikipedia

 

概要[編集]


関ヶ原の戦いで争った二派は、徳川家康を総大将とする東軍と、毛利輝元を総大将とし石田三成を中心とする西軍である[注釈 2][注釈 3]。東軍・西軍の諸将の多くは豊臣恩顧の武将であり、この戦いの性格について家康は豊臣家の家臣同士の成敗合戦(豊臣家に仇為す者を成敗する)という建前をとり、また、豊臣家も表向きは静観の立場を取った。しかし、この戦いは実質的に徳川家康の覇権を決定づけることとなった。関ヶ原の戦いを引き起こした直接の導引は、朝鮮出兵をめぐる現地武将と、中央の豊臣秀吉およびその意向に従って行動する石田三成ら奉行衆との対立であり、慶長の役における蔚山篭城戦を機に顕著となる現地武将たちの戦線縮小―撤兵路線をめぐる軋轢と政権の内部分裂であった[5][6]

決戦までの経緯[編集]

豊臣家中の対立[編集]

天下統一を達成した豊臣政権の内部においては、主に豊臣政権の成立に軍事面で寄与して文禄・慶長の役でも前線で戦った「武断派」と呼ばれるグループと、内政・経済兵站(へいたん)・宗教管理など、戦場以外の分野で活躍していた「文治派」の対立抗争が存在したが、これらの対立は以下のような豊臣政権そのものの政治的矛盾に端を発するものであった[7]

  1. 豊臣政権の中央集権的な全国統治政策
    1. 外様大名の領国への豊臣奉行による太閤検地の実施。
    2. 外様大名領への太閤蔵入地の設定。特に文禄・慶長の役の過程で新たに設定された太閤蔵入地へは文治派系列のものが代官として送り込まれる傾向が強かった[8][9]
    3. 大名の有力家臣への知行宛行(伊集院忠棟鍋島直茂など)と内政干渉
  2. 秀次事件による豊臣家及び豊臣家臣団の確執・連座を免れた大名と家康との接近。

秀吉本人や実弟の豊臣秀長などの存在により表面化は避けられていた。だが、天正19年(1591年)の秀長の死、文禄・慶長の役の遂行方針や賞罰をめぐる対立により、両派の溝は深刻なものとなっていた。

秀吉は晩年には五大老五奉行の制度を整え、諸大名に実子の豊臣秀頼に対する臣従を誓わせて慶長3年(1598年)8月18日に伏見城で死去する。ここで両派の対立は顕在化し、秀吉死後10日後の28日には、五大老毛利輝元浅野長政を除く四奉行の間で起請文を交すという、徒党を組むことを禁じた遺命破りが早速行われている[10]。さらに秀吉死後の27日もしないうちに徳川家康五奉行(五人の年寄)の不和が明るみになり(『萩藩閥閲録』第三巻―巻九九ノ二)[11]また五大老(奉行)の家康は、島津領の太閤蔵入地の解除や福原直高(三成の妹婿)の知行地半減など太閤蔵入地支配を通じた文治派による専制・集権体制の解体をはかる[9]。また、禁止されている大名同士の婚儀や加増を取り仕切り、影響力と他の大名との連携を強める。これに対して、同じく五大老前田利家は家康を糾弾。一時は伏見(徳川側)と大坂(前田側)が武力衝突する寸前まで行った。最終的には誓書を交換するなどして対立は避けられたが、この際に武断派諸大名や婚儀の相手となった大名が徳川邸に参集し、豊臣家内部は分裂の様相を呈し始めていた。

翌年の閏3月に利家が死去すると、武断派加藤清正福島正則黒田長政池田輝政細川忠興加藤嘉明浅野幸長七将[注釈 5]により、文治派の筆頭である五奉行石田三成に対する襲撃が実行された。なお、七将は常に家康の同意を仰ぎ、七将の行動はあくまでも家康に容認された範囲に限られていた[12]。三成は伏見城内の自己の屋敷に立て籠もり難を逃れたものの、家康の仲介で事件の責任を取らされることになり、奉行職を解任され居城の佐和山城に蟄居となる。この時、三成が家康の屋敷に逃げ込んだとされるのは根拠のない俗説[13][14]。三成を失脚させ、最も中立的と見られている北政所の仲裁を受けたことにより、結論の客観性(正統性)が得られ、家康の評価も相対的に高まったと評価されている[15]

家康の台頭と加賀征伐[編集]

1599年9月7日、秀吉の遺命で伏見城に居るはずだった家康であったが、重陽の節句で秀頼への挨拶として伏見城を二男・結城秀康に預けたまま大坂城に入城。同日、利家の嫡男で加賀金沢城主である前田利長が家康を暗殺するという、陰謀があったと発表する。

これは利長を首謀者として五奉行筆頭の浅野長政、秀頼・淀殿側近の大野治長、および加賀野々市城主の土方雄久が、大坂城入城中の家康を襲撃し暗殺するというものである。一説には五奉行増田長盛長束正家が讒訴したとも、家康自らが故意に流布したものともいわれるが、情報の出所は不明である。しかし家康はこの「暗殺計画」を最大限に利用。警護の名目で譜代の家臣と兵を引き連れて大坂城に入城し、そのまま居座った。

10月2日、暗殺計画に加担した諸将に対する処分が家康より発表され、長政は隠居を命じられ武蔵国府中に蟄居し、治長は下総結城、雄久は常陸水戸に流罪となった。翌3日には首謀者である利長を討伐すべく、「加賀征伐」の号令を大坂に在住する諸大名に発し、加賀小松城主である丹羽長重に先鋒を命じた。金沢に居た利長はこの加賀征伐の報に接し、迎撃か弁明の択一を迫られたが、結局重臣である横山長知を家康の下へ派遣して弁明に努めた。家康は潔白の証明として人質を要求、利長の母で利家正室であった芳春院を人質として江戸に派遣することで落着した。

この一件により五大老五奉行の制度は完全に瓦解することとなった。家康は高台院退去後の大坂城西の丸を本拠とし、ここから矢継ぎ早に大名への加増や転封を実施した。これは来るべき時を迎えるにあたって、一人でも多く味方を増やすための多数派工作であった。細川忠興豊後杵築6万石、堀尾吉晴越前府中5万石、森忠政信濃川中島13万7,000石、宗義智に1万石を加増。文禄・慶長の役で落度があったとして福原長堯らを減封処分とし、田丸直昌美濃岩村へ転封した。

 

会津上杉征伐[編集]

家康の台頭に対して、三成は上杉景勝の家臣・直江兼続と密謀を交わし[16]上杉景勝が先手を打って家康に対して挙兵するとともに常陸国の佐竹家がこれに応じて挙兵、大坂では豊臣秀頼を推戴して三成が挙兵し家康を東西から挟み撃ちにしようとしたというが、宮本義己によると、これは俗説で提携の微証は見当らないとする。決起後の三成が、真田氏に発給した書状のうち、七月晦日付の真田昌幸充書状に、「三成からの使者を昌幸の方から確かな警護を付けて、沼田越に会津へ送り届けて欲しい」(真田宝物館所蔵文書)と頼んでおり、七月晦日の段階でも、上杉氏との確かな交信ルートを持ち合わせていなかったので、景勝と三成の具体的な謀議や提携は、なかったものと見ておきたいと分析している[17]

一方、家康は河村長門守を使者にして陸奥若松城主である上杉景勝に上洛するよう要請したが、景勝は今秋を期して上洛すべしとの答辞であったので(『落穂集』)、(『景勝一代略記』)[18]、家康は弁明の使者を送るよう改めて景勝に命じた。しかし上杉氏の重臣であった直江兼続はこれに反発、家康側の交渉担当者の西笑承兌に宛てたいわゆる「直江状」にて挑戦的な態度で家康を非難した。しかし直江状の信憑性については疑問もある。直江状記事を参照。

いずれにせよ、家康は自ら上杉征伐に出ることを決定し、秀頼の台命による征伐の形を整えた。

家康は上杉領内を五箇所から攻撃することを定め、6月2日に東北・関東・北陸の諸大名にも出陣を命じた。北の米沢口に最上義光南部利直戸沢政盛ら、北東の信夫口に伊達政宗、西の越後津川口に前田利長・堀秀治・溝口秀勝・村上義明ら、南東の仙道口に佐竹義宣を当て、家康は西国諸大名と共に南の白河口より一斉に攻め込む体制を採った。6月15日家康は秀頼より金2万両と兵糧2万石が下賜されて、秀頼の命を奉じる形で翌16日に大坂城を出陣、一旦伏見城に入った。この時の家康の様子を侍医である板坂卜斎は『慶長年中卜斎記』において次のように記している。

「17日に千畳敷奥座敷へ出御。御機嫌好く四方を御詠(なが)め、座敷に立たせられ、御一人莞爾々々(にこにこ)と御笑被成より…」[19]

この後鳥居元忠松平家忠松平近正らに伏見城守備を命じ、鉄砲の弾が尽きれば城内の金銀を弾込めしてもよいとまで言い切った。さらに山科まで見送りに訪れた島津義弘にも伏見城守備を依頼して江戸へと下る。一方、佐和山城に隠居していた三成は、家康が江戸に下るとの報を受け、家康留守中を狙って挙兵し、西国大名を糾合して家康を討つ決意を固める。

また上杉景勝も、家康から上杉領に侵入することを指示されていた常陸の佐竹義宣と同盟を結んでおり、白河口より攻め込んでくる家康を挟撃する計画があった[20]。他にも会津領内の浪人などを雇ったり、会津神指城の築城や、急速な各城の補強工事など、攻めよせる家康軍への迎撃体制を整えていった。

 

ウィキペディアより引用

長いな........。

 

 

www.nhk.or.jp

カウントダウンが始まっているw

 

 

第34回「挙兵(きょへい)」

 

 毎週午後6時のNHK BSプレミアムを見ながら書いていますので、シーンもセリフも漏れまくりです。

(後日録画を見て加筆校正して更新しています。)

 

三成を敵視する大名は日に日に増えていた

 

伏見 石田屋敷からドラマは始まる 

信繁はお屋敷で謹慎中の三成を訪ねる

 

1日も早く石田様の謹慎を解こうと宇喜多様たちが

動いています

 

わたしがいなければ政が滞る

誰かが動き出す頃合いだと踏んでいた

 

時にわたしの妻のことなのですが、

ずっと石田様の言葉が気になっていまして

 あの女は苦労するぞと

 

席を外す三成の嫁

 

(回想シーン)

大谷刑部の日頃の世話に報いるために、春に筆をプレゼントする三成

 

あの娘はそれを誤解した

有り体に申せば、私に惚れてしまったのだ

 

どうぞ三成様とお別れ下さい

わたしたちは思いおうておりまする

(三成の嫁に直訴するかw)

 

思い違いじゃ、諦めよ

 

全ては春の思い込みだった

イヤ~!!うわ~ん(ここ笑うところか、すごい演技だなw)

 

苦労するぞ

 

確かに

まあ、しっかりな(ニヤリと笑う三成)

 

 

 

真田屋敷に戻った信繁

石田様に会ってきた

 

ご様子はいかがでした?

それはようございました

障子に手をかけて紙を破り、戸を開ける春

 

春動揺してるのかwわざとなのか

 

2月29日(ナレーション)

伏見 徳川屋敷にて

前田利家と家康が三成の処遇について話し合う

 

石田治部は豊臣家になくてはならぬ男

水に流すと致しましょう

 

すまぬ

家康の手を取り詫びを入れる利家

 

伏見 治部少輔丸

三成は謹慎を解かれ職務に復帰した(ナレーション)

 

徳川内府がした縁組を書き連ねた

誤りがないか確かめろ

 

大阪 前田屋敷

清正、正則らは前田利家に石田治部の専横を直訴する

 

ここだけの話わしはもう長くない

わしが死んだ後も治部と力を合わせ

豊臣の家を(秀頼様を)守りぬけ

 それがお主らの役目じゃ、よいな!

 

大坂城北政所に会う信繁と三成

此度の騒ぎのこと、心よりお詫び申し上げまする

 

佐吉、誤解せんといて

わたくしは仲良うして欲しいだけ

みんな、こーんな子供の頃から知っとるで

 

では(聞く耳を持たない三成)

 

 

左衛門佐、ちと良いですか?

(三成は退室した)

 

つまらん騒ぎに巻き込まれるのはもう沢山

秀頼殿の婚儀が整ったら出家するつもりです

きりにも暇を出すことにしました

 

そういうことになりました

 

 

本人のたっての願いで細川様のお屋敷に奉公させることになりました

 

 

信繁はきりに忠告した

悪いことは言わぬ、上田に帰るのだ!

お前は本気で切支丹になるつもりか?

 

なりませんよ!でもね聞いて下さいな

信じる気持ちがあれば気持ちはもうデウス様の

御心に届いているんですって

 

遅かれ早かれ必ず大阪 伏見でなにかが起こる

不穏な気配が渦巻いているんだ

今のうちに上田に帰ったほうがいい

 

不穏?大好き!また一緒に乗り越えて行きましょう!!

(相変わらず頭悪そうなこと言い出すな)

 

 

秀頼は日に日に大きくなっている

淀の方に桃の苗木をプレゼントする三成

ありがたいこと

 

今回の事件の原因は豊臣家を思ってのことと

淀の方に訴える三成だが

大蔵卿局に叱責される

 

これだけはお耳に止めていただきたい

徳川内府を信じてはいけませぬ

 

治部殿!

 

御無礼仕りました

 

 

閏3月 前田利家が死んだ(ナレーション)

 歯止めがなくなった反三成の武将たちは

 

もう誰にも止めさせぬ、石田治部を討ち取るのじゃ!

 

伏見 細川屋敷

今から戦支度じゃ(細川忠興は嬉しそう)

石田治部目を成敗する

 

マリア様の画を眺めているきり

お前の想い人はたしか石田治部殿のところにいるのですよね?

 

いささか嘘が混じっていました

思い人と言っても、わたしが勝手に思っているだけで・・

 

玉から豊臣恩顧の7将が石田治部を襲撃と知らされるきり

 

きりは慌てて信繁に報告した

 攻めてくるのは?

加藤、福島、細川、黒田、藤堂、蜂須賀、浅野

殿下の子飼いの大名ばかりではないか

これを恐れていたんだ

行くぞ!(三十郎と三成の元へ向かう信繁)

 

助かった!

 

わたし役に立ってる?

 

たまに!

(嬉しそうなきり)

 

石田屋敷にやってきた信繁と三十郎

今わたしを殺して何になるというのだ!

徳川を喜ばすだけではないか、なぜそれが分からぬ!!

 

伏見城から持ってきた大量の文書を心配する三成

 

とにかく早くお逃げ下さい

三成は家来の島左近と避難

兄上を読んできてくれ

三十郎に連れられ部下何人かと信行がやってきた

 

話は聞いた

ご足労ありがとうございます

とりあえず文書を屋敷の蔵に移すことになった

 

その直後石田屋敷は襲撃にあう

 豊臣はこれからどうなる?

太閤恩顧のものたちの諍いがこうも続くと

いずれ立ちゆかなくなるぞ!

 

兄上、ここまでです!

 

屋敷の広間に踏み込んだ豊臣恩顧の7将が見たものは

 

将棋を指す(将棋崩しか)信繁と信行

兄上の番ですよ

うーん・・

 

石田治部を出せ

ここにはおりませぬ

匿ってなどおりませぬ

 

 

加藤殿

石田治部少輔とのいさかいは身内の揉め事で済ませても

我が真田と一戦交えるなら戦である

もはや国同士の戦でござる

それをお覚悟の上か?

お覚悟の上とならばお受け申すが

 (兄上カッコいい)

三十郎は太刀に手をやり臨戦態勢だ

 

刀を抜こうとする福島正則

市松~!

他を探そう

 

行くぞ!

 仕方なく引き上げる7将

 

しかし、一人帰らない男がいたw

将棋崩しを続ける真田兄弟

お前の番だ

何か?

将棋盤を叩く後藤又兵衛(初登場)

負け!

(2人で指差すなやw)

ハハハハハハッ 

楽しそうに笑う後藤又兵衛

 

又兵衛!

 

ただいま、ハハハハッ

大坂の陣において真田信繁の盟友となる

後藤又兵衛基次

今はまだ黒田家家臣の身であった(ナレーション)

 

伏見 宇喜多屋敷

信繁は宇喜多秀家に7将の動きを報告した

おのれ返り討ちにしてくれる!

 

三成は治部少輔丸に立てこもることにした

 清正たちも殿下が築いた豊臣の城に攻めこむことはしまい

秀家は家臣の明石全登(初登場)に三成の警護を命じる

 

お前はここまでじゃ案ずるな

わたしは命を大事にする男じゃ、腹など切らぬ

 

治部少輔丸はバリケード化されてる

左近はやる気満々だw

 

長束正家が焦って信繁を呼びに来る

七将は怒りが収まらぬ

 

頼む!!

信繁は仲介役に(なぜここまで重用されているのか、理解はしがたいが)

 

石田様はどうされるおつもりですか?

 

決まっているではないか、腹を切らせるのよ!! 

 

何のとがで?

 

あいつは己が分際をわきまえずに殿下が亡きあとの政を

意のままに操ろうとした

徳川内府様のお命も狙った!

天下を騒がす大罪人じゃ!そうだ!

 

大坂城

北政所に会いに行くが、侍女のわくさに断られる信繁

もう、政には口を挟まぬと固くご決心されたのでございます

 

大蔵卿局に三成助命を頼み込む信繁

秀頼の名を出せば加藤清正も引き下がると頼むのだが・・

 

しかし、淀の方は拒絶

秀頼殿が言えば治部は助かるのですか?

 

 

徳川内府と石田治部は犬猿の仲

秀頼様が板挟みになりませぬか?

 秀頼殿のためになりますか?

お帰りなさい

 

大谷屋敷に寄り知恵を借りる信繁

石田治部も難しいことになってきたのう・・

あとは頼りは一人だけ・・

 

 

徳川屋敷

信繁は家康に直訴した

 

わしに何ができる?

 

内府様がお出ましになれば必ずや矛を収めましょう!

 

じゃがなあ~

今は合議で何でも決めることになっておる

わし一人ががしゃしゃり出るわけにはいかないのじゃ

まずは老衆と奉行衆を集めて・・・

(この家康の憎たらしい顔芸が素晴らしい!)

 

さて、どうしたものか・・

7人全部をまとめて処分する手もありますが

加藤、福島あたりはまだ使えるじゃろう

 そう焦ることもなかろう

 

石田治部は頭の切れる男であったが

もったいなかったのう

 

徳川屋敷に来た7将に対して家康は命令を下す

 いつまで待たせるのだ!

本多忠勝は殺気立った将達を威圧

 

此度の君側の奸、石田治部少輔征伐まことにご苦労であった

 

話はついた(家康は退室した)

 

本多正信から詳しい説明が信繁に告げられる

主計頭様は引き下がりました

石田様は代わりに蟄居

政からは身を引いてもらいます

 

信繁は三成を訪ねる

 佐和山に引っ込めと申すか?

なぜだ?

殿下に全てを捧げ殿下亡き後は

豊臣家のために全てをなげうってここまでやってきた

何ゆえわたしが伏見を追われなければならんのだ

悔しさのあまり泣いてしまう三成

 

太閤殿下は分かっておられます

 石田様は誰よりも豊臣家のことを考え

秀頼様のことを思われていました

太閤殿下は全て見ておられます

 

一つ頼みがある

虎之助に会いたい

 

 左近は納得がいかぬようだ

石田治部は佐和山城に蟄居を命じられた

 長束正家はお察しいたすとだけ声をかけた

 

 

虎之助

清正の耳元で何かを囁く三成

 

顔色を変える加藤清正

 

 

参るとしよう

 

 

信繁に向かって三成は言った

今生の別れだ!

 

 

 

三成が伏見を去った3日後(ナレーション)

家康は伏見に移った

それは家康の高らかな勝利宣言であった

(笑いが止まらない家康)

 

 

 

家康に直々に呼び出された信繁

 

さて左衛門佐

本日来てもらったのは他でもない

おぬしはこれからどうするのだ?

 

全く考えておりませぬ

 

 どうじゃ

わしのもとで働かぬか?

徳川に仕えよ、悪いようにはせん

お主を買っておるのだ

 

お断りいたします

上座を下りて 肩を掴んで信繁を説く家康

先々、奉行衆に加えてやっても良いのだが

 

(肩を掴んだ手を引き剥がすように後ろに下がり)

お断りいたします

 

 

何ゆえ?

 

 おそれながら申し上げます

石田治部様は巳が見を顧みず、誰よりも豊臣家を思い尽くしてきました

その石田様をもってしても内府様のもとでは務めることがかないませんでした

どうして私などに務まりましょう

 

わしを怒らせたいのか?

 

どう思おうと内府様のご勝手でございます

 

もう一度言うわしの家来になれ

 

お断り致します

 

下がれ

(笑みを浮かべる家康)

 

失礼致します

(家康は、いまだに自分に逆らうものがいるのが信じられないような表情だ)

家康との対決が終わり思わず息を漏らす信繁

 

真田屋敷の春と信繁

これでお役御免だ

 

これからは兄上とともに真田の家のために尽くす

上田とこちらの行き来だ

いずれは春も向こうに連れて行ってやる

 

出仕する信繁と三十郎

 翌日か、これ?

徳川内府の申し出を断ったそうだな

伝わるのが早いですね

 

気にいった

且元はご機嫌だ

 

淀の方に呼ばれる信繁

左衛門佐、これなのだが・・

三成が献上した桃の花が枯れそうだったので呼びだされたらしい

 

正直あまり好きではありませんでした

石田治部のことですよ

何を考えているのかわからないんですもの

 

一度心を開けあえば、あれほど分かりやすい方はおられません

 

その1年後(ナレーション)

慶長5年5月家康は秀頼がいる大坂城に移りほぼ天下を手中としていた

発端は会津に戻った

上杉景勝に謀反の疑いが起きたことにあった

上洛せよとの家康の命を景勝は断固拒否

直江兼続は痛烈な批判の書状を送りつけた

(家康のもとに過激な内容の直江状が届く)

 

(回想シーン)

会津

我らが戦道具を集めているとのことなれど

上方の武士が茶器などをお集めになるように

我ら田舎武士は鉄砲や弓矢を集めるだけ

そのようなことにこだわるのは

天下を預かるお方らしからぬご了見

我らに逆心はないと申し上げたはず

(書いた書状を景勝に見せる兼続、景勝は楽しそうに読んでいる)

にもかかわらず

逆心なければ上洛できるはずだと

赤子の理屈で全く話にもなり申さぬ

家康様にご分別がついた頃には上洛できると存ずる

どこぞの誰かのように

太閤殿下のご遺言に背き起請文も破り

秀頼公をないがしろにしたりはいたしませぬ

かようなことをして天下を取っても

悪人と呼ばれるのは必定!

末代までの恥と相成りますゆえ

(いい声だな惚れ惚れするわ、このシーン)

 

西行は家康の怒りに恐れをなした

直江状を読んで破り捨てても怒りが収まらぬ家康

 許せぬ、上杉景勝

 

 

久々に親子3人揃った真田家

 

我らも出陣でしょうか?

 この期に及んで上杉と戦うことになるとは・・

 

その上杉から密書が届いた

家康を迎え撃つ気まんまんじゃ

上杉はわしに味方しろと言ってきた

ともに力を合わせて徳川を倒そうとな

わしはそれに乗ろうと思う

 合戦が始まったら横あいから、いきなり徳川本陣を攻める

徳川はひとたまりもあるまい

 

徳川を倒した先はどうするのですか?

 

世は再び乱れる

信玄公の治めていた領地をこの手で取戻すのだ

北条氏政に言った言葉を息子たちに告げる昌幸

「死にたければ死ね、されど生きておればまだまだ楽しい物が見られますぞ」と

 

これはわしにとって今度こそ最後の機会じゃ

わしの我儘聞いてくれぬか?

どうか頼む、この通りじゃ

頭を下げる昌幸

 

源次郎は父上に従います

 徳川家康はもはや太閤殿下のご遺言を踏みにじる大悪党と成り果てました

許しておいてはなりません!

 

よう言うた!

そっちは?

わたしは真田安房守の嫡男、父上に従うに決まっているではありませぬか!

 

源三郎!

 

我ら兄弟どこまでも父上についてまいります!!

 

息子に手をやり思わずつぶやく昌幸

よき息子を持った!良き息子を持った!

 

 

兄弟だけになって話しあう2人

やはり父上は戦がないと生きていけないおかたなのだな

 

本当によろしいのですか?

舅殿とは敵味方に分かれるが仕方がない

徳川がいなくなれば父上が言うように天下は再び乱れるか?

 

上杉様には豊臣に代わって天下を治める気はないと存じます

ではどうなる?

 

なんとかなります

石田様が戻ってくるのか?

 

分かりません、あのお方がおられなくても新しい時代はやって来ます

 

秀頼公は実に聡明であります

ご成人の暁には太閤殿下と

遜色ない天下人になられましょう

父上が望まれるような混乱は起きないと思います

 

何ゆえ父上を欺く?

もちろん上杉に勝利をもたらすため

真田安房守の力がどうしてもいるのです

 

策士だな

 

真田昌幸の息子ですから

 

 

 片桐且元徳川家康に出陣する気か聞きに来た

諸大名にはこれより秀頼公の命という形をとって触れを出す

徳川家康は老衆筆頭である

徳川を愚弄するは豊臣を愚弄すると同じ!

 

家康は豊臣家のために上杉を征伐すると主張するが

 

片桐且元は反対する

されど上杉中納言殿は太閤殿下の覚えもめでたく

秀頼公が最も頼りとされる老衆でございます

豊臣家が上杉を討ついわれはございません!

 秀頼公の御名を持ち出すのはおやめいただきましょう!!

 

取り残された本多親子と家康

 

 あの男にしてはよう粘ったな

片桐には悪いが

あくまで豊臣と上杉の戦にしたい

戦の重みが違う

 

家康は淀の方に直接頼むことにした

これより上杉征伐に赴きまする

 

武運を祈ります

 

つきましてはお願いの義がございます

秀頼公の名は出しませぬ!

大蔵卿局がすかさず家康につっかかる

片桐殿に聞いておられるはずですが?

 

陣中見舞いでもいただければ士気も上がりましょう

急ぎお願いいたす

 

大蔵卿局がいなくなった隙に家康は淀の方にお願いする

 ついでに豊臣の旗、幟もお許し頂きたい

 

好きにせよ

 

ありがとう存じまする

(淀の方の頭の悪さに家康は笑いが止まらない)

 

6月16日(ナレーション)

家康は豊臣の軍旗を高らかに掲げ上杉征伐の進撃を開始

 

 

 

 

そして

大阪では

 

長束正家から情報が入る

片桐且元が広間の宇喜多秀家に告げる

 

徳川内府の軍勢ことごとく城を出たよしにございます

 

秀家は高らかに宣言する

 

家康の横暴はとどまるところを知らず

全て太閤殿下のご意思に背くものである

断じて許すことはできぬ

徳川内府を弾劾いたすべき時が来たのじゃ!

 

別室には三成が控えていた

これでよいのだな?治部少輔

 

あとは要となる毛利中納言様のご到着を待つばかりであります

 

もうあとに退けぬぞ

且元に言われ三成は即答する

 

万事 この治部におまかせあれ

 

三成は挙兵した

 

日本の歴史上未曾有の大戦がこの時より始まった

(ナレーション)

 

今週はこの辺でさようなら

まとめ

 

 今回もセリフが多くて、ブログを読んでもよく状況と言うか内容がわからないかもしれません。

直江状の場面は迫力あったんですけど、伝わらないかなw

録画を見て書きなおすと思いますが、長くなりそうですね。

 

更新しましたけど、長いよねww

 

第35回「犬伏(いぬぶし)」に続く

 

 

参考記事

headlines.yahoo.co.jp

 

zasshi.news.yahoo.co.jp

headlines.yahoo.co.jp

headlines.yahoo.co.jp

 

 

では、また来週

 

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All's Well That Ends Well by @nakasada