@なかさだの「終わり良ければすべて良し」 All's Well That Ends Well by @nakasada

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給食で鯨(クジラ)を食べたことあるよね?というヤツは確実にオッサン、オバハン確定です

今週のお題「給食」

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どうも、ノスタルジーにはめっぽう弱い、なかさだです。

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今日のエントリーは、今週のお題「給食」の思い出です。

今でこそかなりの大食漢な「なかさだ」ですが、小学校のころは小食で虚弱で貧相な可哀想な子供でした。

自分で可哀想というのもヘンですけどね。

生まれたときは3960gもあって超健康優良児になると思われていたのですが、なぜか大きくならなかったです。

姉と弟は見るからに健康優良児でしたけど。

昔の写真を見ると年子の姉にミルクを奪われて泣いていたのがあったので、それが原因です。完全に嘘ですけど、写真についてはホントです。

というか内臓が弱くて小食だったんでしょうね。ゲリばっかりしていたわ。

 幼稚園の写真を見ると、かなり小さかったみたいで女の子には、赤ちゃん扱いされていました。

ままごとで遊ぶというと体格がいい男の子がお父さん、女の子がお母さんで、わたしは赤ちゃん役だったと思う。

今でも憶えているけど、近所の女の子2人から毎日チューされてたわ。

わたしは自分でいうのもアレなんだが、成長期が始まった15歳までは、女の子みんなから超可愛いと言われ続けモテモテだったのだ。

というか成長期以降のほうが大事だよね......

話が大幅にそれたので戻るけど、未だに小学校の給食の時間というと悪いイメージしか残っていない。

今でも思い出すのは、下級生のころ給食の時間が終わっても全部食べられなくて困っている自分の姿だ。

いつもすぐにお腹がいっぱいになって、友達が遊びに行っても、自分は椅子に座って減っていかない給食を眺めていた。

それで午後の授業が始まる前にビニール袋に給食の残りを先生に入れられて、(給食缶というか鍋に戻してもいいこともあったけど)机の中にしまうことが多かった。

当然パンも残していた。

1日ならいいけど、毎日給食が全部食べられないわたしは、給食とはビニール袋で家に持ち帰るものだった。

 たまに机に入れっぱなしで忘れたときは当然緑色のカビが生えた。

 

大人になってから姉に話を聞くと「給食が大好きで1杯だけじゃ足りないくらいだった」と言っていた。

何なんだ、この違いは?

あと何が原因で、そうなったのかは分からないけど極度の偏食で、うちではインスタントラーメン以外は食べない時期もあったようだ。

自分の好きなものしか食べない子供でチビでガリガリだったので、母は、さぞかし大変だったろうと思う。

高学年になってからは、やっと給食を全部残さず食べられるようになったが、満腹すぎて動けないことも多かった。

パンもよく残したので、わら半紙をもらって巻いて帰ることが多かった気がする。

 

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たまにレストランとか外食に連れて行ってもらうと、小食なのに欲張って、たくさん頼んだりすることが多かった。

姉と弟と同じだけ食べるのだが、全部食べきれないのを両親は許さなかったので、帰ってから深夜に気持ち悪くなって吐くこともよくあった。

うちの法律では、自分が注文したものは、自分で全部食べきるまで許してもらえなかったのだ。

姉と弟は、ぜんぜんそういうことがなかったので、わたしは不思議だった。

 

わたしが好きだった当時の献立は、揚げパンと鯨のオーロラ煮と焼きそばだった。

これは美味しかったから憶えているんだろうなあ。他は全然思い出せない。

特に鯨は楽しみだったけど、ソフト麺は大嫌いだったと思う。

鶏のから揚げもあったはずだけど、憶えていない。

どうも人間は嫌なことは忘れたいようで、ずっと辛くて嫌いだった給食には、いい思い出がまったく無いのだ。

 給食がまずかったのは確かだ。

でも、周りの友達は超美味いとか言って、お代わりまでして、食っていたので言えなかったような気がする。

 

 

 

中学校に入るとぜんぜん状況は変わった。

部活を始めて朝練が毎日あったので、6時には家を出るようになった。

5時起きだったので母は寝ていることが多かった。

朝食は、勝手に好きなものを食べていた。

当然、授業の前に運動するわけだから腹が減る。

給食センターから運ばれてくる給食は味が変わったわけでもないが、残さず全部食べられるようになったし、クラスの女子からは食べないコッペパンと牛乳をもらって部活の前に食ったりしていた。

今考えるとクラスの女子10人以上から、毎日のようにもらっていたパンを友達と奪い合って食っていたのは、異常だわw

部活が終わって家に帰るとメシがやたら美味かったので、このころから今の食欲になったのだと思う。こういうのを食い遅れとでもいうのだろうか?

 

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わたしは小学校のころから背が低くて、ひどく痩せていた。

これは偏食のせいだろうね。

義務教育の9年間、常に一番前だったので前へ習えは腰に手をやっていた。

学校内の同じ学年で、自分より背が低い子供は1人しかいなかったわ。

中学校に入って20cmくらい背が伸びたんだが、それでも155cmくらいしかなくて女子より背が低かったので、ずっとコンプレックスだった。

告られたこともあるが、女子が自分より背が高かったので、お断りすることが何度かあった。プライドだったのかな?もったいないねえ。

その後は、高校に入っても(喫煙は当然していた)身長は伸び続けて20歳を過ぎても背が伸びていたが、22歳で止まった。

最終的に日本人の平均的な身長にはなったけど、わたしは自分は背が低いのだと未だに思っている。

少年時代は、背が低くて嫌な思いをたくさんした気がするけど、振り返ってみれば懐かしい思い出だ。

給食は残さず食べようね。食べないと大きくなれないよ。

ゲームばっかりじゃ太るから外で遊ぼうね。

 

それじゃ、また。

鯨肉 - Wikipedia

特に鯨の竜田揚げは、戦後の学校給食を代表するメニューとして語られる。「鯨の南部揚げ」と給食のメニュー表に表記する学校もあった。ただし小学生にとっては必ずしも好まれていた肉種ではなく、1951年に東京都立衛生研究所が行った調査では、小学生が学校給食で嫌いな肉として挙げたのは豚肉16%、牛肉7%、鯨肉23%で、鯨肉を嫌いと挙げている小学生が突出して多い。23%の内訳は男子9%、女子14%と女子が多く、当時の東京都立衛生研究所は「巨大な鯨に関する乙女心の感傷の表現であるかも知れない」と考察している[4]。1970年代まで大半の小中学校で一般的だったが一時激減し、1987年の南極海での商業捕鯨中止などでさらに激減した。

近年は急速冷凍の技術が発達したことにより、刺身として供されることも多い。

1987年の商業捕鯨中止などで激減した鯨肉の学校給食が徐々に復活し、給食を実施している全国の公立小、中学校約2万9600校のうち、2009年度に一度でも鯨肉の給食を出した学校は、18%に当たる5355校になった。 使われる鯨肉は南極海で捕れたクロミンククジラなどで、メニューは竜田揚げが目立ち、カツやケチャップなどでつくるオーロラソースあえなどがある。背景には、調査捕鯨で捕獲した在庫がだぶつき、消費拡大のため給食用に割安で提供されていることや、食文化の継承の為という意味があるとされる

くじらベーコンなど鯨肉を使った鯨料理のレシピから通販まで、クジラのことならくじら横丁まで。

 

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